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ある中国人学者の描く中国の将来(3)

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ただ、中国の経済的繁栄がつづくとすれば、将来、若い世代に民主化の求め(「自由」への希求)が生まれるのは、朱建榮氏が展望するように、自然の流れといえそうである。 人は「食べる」ことが充足されこれに飽きるまでになれば、次にはさまざまな「精神の満足」を求めることになる。 「自由」を求める人々は当然ながら画一的統制をきらう。一つの価値観に統一されることをきらう。ひいては強力な一党独裁政治に変化を求めることとなろう。 中国は政治的分岐点に立たされることになる。 人々の求めるものが「強力な統制」と矛盾することに国家指導部も改めて気がつくに違いない。 ただ、自由はともすれば「放らつ」にながされがちである。 経済的、階級的、地域的、文化的、宗教的さまざまな違いを持つ巨大な国に住む人々が、それぞれに自由を求めるとき、 国家の統一維持は困難となり、再び国家分裂の危険性を伴う。かつてのように、衰弱するシシに周辺のどうもうなハイエナたちが狙いを定めることにもなりかねない。自由を求めた「中東の春」が国々にもたらした混乱はいまだおさまっていないのである。 「統制」国家から「自由」国家にどうソフトランディングさせるか、やさしい課題ではない。      西欧的民主主義の基礎には、多数決原理、ボトムアップ原理(民意尊重)、国民の一体性原理(民族融和、人間の平等)などの 基盤思想 があると思う。いずれも「言うは易し生むは難し」である。先進国においては内乱を含む苦難苦闘の長いときを経て定着させていったものであり(トランプ現象をみるとアメリカでさえまだ危うい)、現在後進国がクーデターや内戦によって民主主義定着が一進一退を繰り返している感のあるのも、その獲得に苦戦しているせいであると思われる。   基盤思想の定着は各国にとって歴史的課題であって、即席で獲得できる性質のものではない。中国においては、巨大な人口をもち、多民族国家であるだけに、「民主主義」構築の基盤思想を獲得するのはなおさら、並みの苦労ではないと思われる。ある意味では、世界史上初の挑戦ということになるかもしれない。 長い歴史をもつ偉大な中国人民は、この課題を乗り切るにちがいない。   仮説というより妄想かもしれない。 しかし、この夢のような話は、朱建榮氏などの中国の良心的かつ高い知性から学ぶ隠居老人の切なる願いでもある。(

ある中国人学者の描く中国の将来(2)

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   中国三千年の歴史は、統一と分裂、被侵略と反撃の繰り返しであった。とくに近代200年は、西欧からの侵略にはじまり、その反撃のなかで内戦が頻発し、その内戦を利用するさらなる西欧・日本の侵食・侵略・・・中国は半死半生までに衰退させられた。  ようやく中国共産党という強力な指導力が誕生し、後半の100年をかけて苦難に満ちた革命をついに成功させ、その独立と統一と平和と繁栄を回復させた。気がついてみれば、14億の民を抱え巨大な領土を擁する新しき超大国が誕生し、これまでの王者の西欧世界と対峙するまでに至っているのだ。 そして、大きすぎる国の新たな苦難と挑戦が始まっているのである。    中国は、「改革開放」により西欧で成功した資本主義を取り入れたにもかかわらず、統治形態としては議会制民主主義をこばみ、共産党独裁を堅持する。ひとえに中国の統一を維持するためだと隠居老人は思う。  広大な領土と巨大な人口は、ここに複数の政治意見が競い合うシステムを一気に導入すれば、経済的、階級的、地域的、文化的、宗教的さまざまな違いから、人の分派、国土の分割を招き、そこに外国からの干渉も加わって、中国の一体性を維持することすなわち統一を保つことは困難となることはまちがいない。分裂の道に逆戻りである。 中国指導部は、だからこそ、共産党による独裁体制による強力な統制力でもって統一を維持しようとする。その巨大な領土と人口は、西欧の歴史とは違った道を歩まざるを得ない、とするのである。 中国人民は、資本主義経済により生活が豊かになったのであるから、もっと「幸せ」になるためにさらなる「自由」を求めるのが人の常だと思われる。にもかかわらず、人々は多少の「不自由」はあっても、現在の共産党による国家指導体制に満足している(不満をもつ少数はどこの世界にもいる)。 貧困から解放されようとする現在は、強力な共産党指導部による巨大な統一国家運営のおかげである、その「功績」による幸せを今かみしめているのであろう。少なくとも、体制変革を求める目立つ動きはない。 共産党指導部はそのような国民の支持のもとで、現在のところは自信をもって国家運営にあたっているのだ。(明日に つづく   2/3 )   (1)に もどる

ある中国人学者の描く中国の将来(1)

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  年末年頭にあたり、希望のもてる話題を書きたい。   朱建榮氏は日本の大学で政治学などの教鞭をとっている中国人学者である。在日歴は長く、日本人研究者らとの共同研究もあって、その率直な評論に注目する人は少なくない。その朱建榮氏が編者として今年8月に出版した本の中に、次の一文を見つけた。   「 今後の10年、20年以内に、中間層が全人口の過半数を占め、「権利意識」が大半の中国人の「普遍的価値観」になった時点で、 中国の民衆は、若者を先導に、必ず民主化 ( もちろん欧米型体制と一致するとは限らない)を目指していくであろう。 それが現体制とバッティングした場合、とういう結果が予想されるか。正直言って、変数と可能性があまりにも多い。しかし一つ言えるのは、中国共産党指導部もオピニオンリーダーも民衆も、正面衝突で国が分裂し、内戦に陥るようなハードランディングの道は絶対に避けたいことだ。すなわち、対立各方面の妥協、歩み寄りがもっとも可能性がある。これは、 現政権がこれまでの路線を大幅に修正する ことも意味する。」(「加速する中国 岐路に立つ日本」(花伝社)227p、赤字は老人)   この意見は、対決派と共存派、中国観を大きく違える日本人のどちらからみても、意外であって驚くに値するものであるまいか。 ①    民主化への歩みが必然であるかのようにみる点、  ②    民主化をめぐり内戦の可能性まであるとする点、  ③    共産党政権がこの民主化の要求に妥協する可能性が強いとする点などで  。  このような意見は、「統制強化」を進めているかにみえる現在の中国首脳部にはどのように映るであろうか。歓迎していないかもしれない。朱建榮氏の立場を危うくするのではないか、との危惧する向きもあるかもしれない・・・。   その点はともかくとして、隠居老人は、朱建榮氏の将来の展望に「そうあってほしい」と願う一人である。ただ、さまざまな困難な課題がありそうである。   そのあたりを隠居老人の「明るい中国未来仮説」として考えてみたい。(明日に つづく   1/3 )  

「ウイグル問題」に思う(2)

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「思想改造」について   中国の「人権問題」報道に接して、いつも念頭に浮かぶもう一つは、「思想改造」という言葉である。「中国」では「思想改造」(思想教育というべきか)なら今でも行われている可能性がある。   ハリウッド映画の「ラストエンペラー」を観た人は多いと思う。坂本龍一が音楽を担当し自ら満州国を牛耳った甘粕大尉を演じた、あの清朝最後の皇帝 「溥儀」 (日本の傀儡国家「満州国」の初代皇帝でもある)の波瀾万丈の人生を描いた傑作である。私はDVDも入れて3、4回は観た。   中国共産党が内戦で蒋介石の国民党に勝って中華人民共和国の建国宣言をした1949年ころ、元満州国皇帝「溥儀」が何人かの配下と共に人民解放軍につかまり収容所に入れられる。皇帝時代の支配者思想と日本帝国主義に協力した売国思想を厳しく徹底的に自己批判させられる、そうした収容生活が描かれる。取調べ室で「溥儀」に対して一方的に怒鳴りまくる係官と穏やかに見守る収容所長との対比が面白かった。何年かの後に「溥儀」は自己批判を完遂し「思想改造」が終了したとして無事に収容所を出ることになる。「溥儀」が収容者全員の前で出所を告げられる場面ではあの収容所長の温かい励ましのまなざしもあった。そして植木職人として第二の「穏やかな」人生を歩み出した「溥儀」がある日、それは文化大革命の最中であったが、街角で紅衛兵の一団に出会う。そこになんとあのやさしかった収容所長が赤い三角帽子をかぶせられ引き回されているではないか。「溥儀」は思わず所長のところに駆け寄ろうとする・・・。   中国ではその建国以来、いわゆる政治犯に対しては、その矯正教育として「思想改造」が行われてきた。いわゆる批判と自己批判を通じて、「誤った思想」を「正しい思想」に変えようとする人間教育である。   岩波書店から「解放の囚人」という名の新書もでた。そこには新中国で、古き封建的思想、支配者思想のまま捕まった政治犯が、刑務所で批判と自己批判の厳しい受刑生活を送り、「まっとうな人民」に「成長する」過程が感動的に書かれてあったような気がする(なにせ古い記憶!)。左翼だけでなく、軍国主義日本の非人間性に絶望の思いを抱いていた知識人層の一部に好意的に読まれていたように思う。   しかし、その後の文化大革命と改革開放を経た中国では、革命直後の自己犠牲をとも

「ウイグル問題」に思う(1)

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    世界中が「ウイグル問題」で中国を非難している。バイデン大統領は民主主義サミットなるものを開催した。中国に対する人権侵害非難の大合唱である。 火のないところに煙は立たない。少なくとも西欧的人権感覚からみて、肯定できない何らかの事態が新疆ウイグル地区で起こっている可能性はあると思う。 ただ、その内容程度ははっきりしない。情報は確かなのであろうか。ましてやそれをジェノサイド(人種的集団虐殺)とまで非難するなら、どんな確かな情報(証拠)に基づいているのかを、国際信義のうえからも明らかにすべきであろう。 わが国で広く読まれている雑誌によれば、情報発信の中心となったのはエイドリアン・ゼンツというドイツ人学者、アメリカ在住で「共産主義犠牲者記念財団」という団体の上席研究員だという(文藝春秋21年9月号115頁)。その肩書からしていかにもうさん臭い。トランプ大統領以来、アメリカから発せられる情報にはフェイク(嘘)のあることを日本の政府もマスコミも分かっているはずである。 中国の「人権侵害」とイスラム女性   中国の人権問題に関する非難報道に出会うとき、二つの事柄が頭にうかぶ。 一つは、世界に人権侵害とみられる事例は沢山あり、ジェノサイドはともかくとして言論表現の自由に匹敵する重みをもつ人権問題はいたるところにある。なのになぜ、中国の人権問題だけがニュースで大きく取り上げられるのか、という点である。 たとえば、中東アラブ地域などのイスラム圏では女性の人権が制限されている。近親者以外には肌をみせてはいけない(顔や手を除き)といわれる服装をはじめ、その結婚、就職、参政権など多く生活分野で、女性に課せられる義務は沢山あって、その自由は大きく制約され、男性と差別されているようだ。内部で人権向上のために闘う女性に対し厳しい制裁のあることも想像できる。 男女平等観念がすすみ、女性の地位向上の著しい昨今の日本を含む西欧社会からみると、それは耐え難いほどの人権侵害のはずである。西欧社会から、特に女性からも、これを非難する声はほとんど聞こえてこない。なぜだろうか。 イスラム圏の宗教的伝統という社会的歴史的背景を尊重すべきで、そうした背景をもたない西欧社会がみずからの人権感覚でもって軽々に批判すべきではない、そういうまことに謙虚で、おそらく正しい世界認識のうえにたっている

台湾問題・柳澤氏らの提言をめぐって(3)

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    台湾への中国の武力侵攻はあるのか     しかし、中国は台湾に関しては、将来とも「二制度」を維持することを何度も明確に表明している。台湾自身は1949年の蒋介石政権から、社会主義的統治とは別の制度のもとでその政治経済を発展させてきた。独裁的傾向のあった政治制度もここ数十年のうちに選挙制度、議会制度を備えた民主主義政体を自らの手で実現しこれを成功裏に発展させてきた。民主主義は台湾の国民の間に根付いていると言って間違いない。    このように すでに民主主義が成熟している台湾社会に、中国流の社会主義的統治原理(たとえば言論統制)を持ち込んでも、これが成功するとはとうてい思えない。   台湾の人民自身がこれを受け付けず、これによってもたらされる社会的混乱は香港の比ではあるまい。中国はバカではない。中国指導者が「政治体制を他国に強制することはない」とかねがね明言しているのは、イデオロギーの他国への「輸出」の困難さと「得るもの」の小さいことが分かっているからである(香港の場合は、すでに中国の統治が一部及んでいる政体にさらに部分的な制約を加えたもので、そこにおける混乱を限定的とみたからであろう)。     中国が当面、台湾の民主主義すなわち「二制度」の全面的あるいは部分的撤回を意図していると考える根拠はない。柳澤協二さんも別の機会に次のように述べている(「通販生活」2021年盛夏号109頁)。 「香港と違い、台湾には陸海空併せて16万人の兵力があるので、中国が占領するのは簡単ではありません。仮に占領できたとしても市民の抵抗は続き、逆に「台湾独立」の機運が盛り上がることにもなりかねない。ですから、中国もそう簡単に台湾には侵攻しないだろうと考えるのが妥当です」。ただ「米国が台湾独立を後押しするような動きをすれば中国も動かざるをえなくなります」。   この発言は、中国は台湾が米国の支援の下で独立に動き出そうする場合には武力侵攻もありうるであろうが、そうでないときに自らの統一願望を達成するために、台湾へ武力侵攻に出る懸念のないことを言っているのである。私もそうだと思う。 台湾は、独立のために米国などとの連携に動かない限り、「一国二制度」のもとで、内政に関しては中国に遠慮なく最大限に豊かで自由な社会を作っていけるのである。   柳澤氏らの提言は、最後に「価値観

台湾問題・柳澤氏らの提言をめぐって(2)

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    台湾独立と戦争回避       隠居老人は、柳澤さんらの「提言」にほぼ全面的に賛同するが、中国に対して不信を抱いている多くの国民に、はたして説得的かと考えてしまう。     まず、統一願望の中国の側に有利に傾き、台湾の人々の独立の願いに冷たすぎないかとの疑問があろう。もっともである。   だが、現実政治の世界は、台湾人民の独立志向に寄り添って動こうとすれば、中国の武力による抵抗を招くことが必至である。アメリカが阻止しようとすれば悲惨な世界的戦争の危機に至る、そういう現実がある。 「中国がけしからん」と非難しても、歴史的背景のあるその統一願望を撤回させることはまずできない( 本ブログ 11/10 付 (1)(2) )。ならば、台湾人民を救うために中国に鉄槌を下すか、それこそ世界戦争への道である。                                            自分たちだけでなく世界の人民に悲惨な被害をもたらす戦争という結果予想を前に、台湾人民は独立を本当に求めるであろうか。世界はその悲惨な結果を甘受してまで独立を支持するのが「正しい」ことなのであろうか。   提言が「『米中戦争をいかに回避するか』は…台湾を含むすべての関係者にとって最大の課題である」とするのは、 「 戦争回避」が「台湾独立」に優先する ことを述べていると理解できる。そのうえで、台湾人民の独立の希望は、将来の「中国と台湾自身の選択の問題」として「後世の知恵」に委ねるほかはないと、提言は「冷静」に言っているのだ。     私たちは、台湾の人民に、独立を将来のひとつの夢としておき、今の生活の充実に努めてほしいと願うほかはないのではないだろうか。     また、香港のいわゆる「人権弾圧」が始まってから、中国が香港で示した強気の姿勢は、台湾に対して今にも侵攻し、「二制度」を廃止のうえ大陸と同じような統治を始めるのではと懸念する向きもある。(明日に つづく   2/3)                      

台湾問題・柳澤氏らの提言をめぐって(1)

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  延期されている中国との首脳会談の実現も   柳澤協二さんは、元防衛庁事務畑の幹部を勤めたあと、内閣官房副長官補という政府の要職を経て、現在は「自衛隊を生かす会」の中心メンバーでもある。隠居老人は彼の講演を何回か聞いている。穏やかな中に一本筋の通った見識にかねがね敬意を抱いてきた。 その柳澤さんが「ND」というシンクタンクで、他数名とともにこの10月、台湾問題についての 政策提言 をした。副題として「戦争という愚かな選択をしないために」とある。台湾について考えを巡らしている折、私はその提言を丁寧に読んだ。そして、強い共感を覚えるとともに、この問題につき考え方を一歩深めることができたような気がしている。 まずその提言を、私流のことばも交えて思い切って要約してみる。大意はずれていないと思う。 1(課題)   台湾問題が緊張を高めている折、「米中の戦争をいかに回避するか」が台湾、日本を含むすべての関係者の最大の課題である。 2(自制の重要性)   米中そして台湾の「挑発と軍備増強の悪循環」が戦争の危機(誤算や錯誤による衝突を含め)を招いている。戦争を回避するために、なによりも米中の双方に政治的・軍事的自制が求められる。 3(対立の根源)   台湾危機の根源には、一方に台湾の独立志向(アメリカが支援)、他方に中国の統一願望という真逆の目標がある。   相対立するこの目標に折り合いの余地がないのは、中国が台湾を「核心的利益」とし、いかなる犠牲を払おうとも(戦争に訴えても)台湾をわが「一国」にとどめおくという強固な国家意思を明確にしているからである。 4(方針)   このような状況のもとで、これまで米中が戦争に至らなかったのは、両者が(特に米国が)「一つの中国」の認識と「台湾独立不支持」の方針をかろうじて維持してきたからである。   したがって、今後とも当面、戦争を回避するためには、米中がこの認識と方針を再確認し、その一線を越えることのないようにすべきである。将来、状況が変わって、台湾が独立しようとしても、中国が「武力を行使」しない方針に変化するまでは。 5(日本の役割)   米バイデン政権は、中国との関係を「専制主義と民主主義の競争」とみて、日本など同盟国に結束を呼び掛けている。こうした単純化した対立構造で中国をみると、民主主義の同盟国は「専制主義の悪者

林外相への訪中要請 (日々の想い)

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  今朝( 21.11.24 )の朝日新聞「自民、対中姿勢軟化に警戒感 林外相への訪中要請に反発も」の記事には滅入ってしまう。  林外務大臣が中国側から対話のための訪中要請を受けたことに関し、自民党の外交部会で佐藤正久部会長が「この時期の外相の訪中は、慎重の上にも慎重を期していただきたい。完璧に間違ったメッセージを海外に出すことに他ならない」と苦言を呈すると、複数の出席議員から「そうだ」と同調する声が上がったという。  日中の外相が話し合うことすら自民党の一部は反対する。佐藤議員は元陸上自衛官で、新安保法制の審議の際に大活躍した党内タカ派の中心である。その声は、しかし、政権党のうち一部タカ派の意見にすぎない、と軽くみることはできない。安倍内閣以来の「日米同盟重視、対中敵対外交」推進エンジンの唸り声というべきであろう。  「中国の外交政策に脅威を思わせるものがあり、その脅威は日本にも及んでいる」「中国は国内少数民族や人権を弾圧している」などなど、中国に対して厳しい意見が国民の間に広がっていることはいなめない。(私はそのような意見に「誤解」「誇張」「フェイク」があるのではないかと考え、このブログを開設したのだが)  仮に、今国民の中にある中国に対する不信・疑念が正しいものと考えるにしても、だからと言って、中国と戦争すべきだとか、戦争になってもやむをえないと考える人は少数であるはずだ。   相手がどんな悪性を持った国家であろうとも、戦争を避けるためには、まずは話し合いをすべきである。中国に対して日本の政府が国民と「共有」している疑念を真正面からぶつけ、その疑念のもつれた糸を幾分でもほどいて、戦争を回避する「共存」「協調」への道を探るべきではないのか。  今や平和に対する不穏な空気は米中の間にだけあるのではない。アメリカと「共同歩調」をとる日本と中国との間にも戦争の危険は忍び寄っている。  政権党は、この平和の危機に対して、打開の道をさぐるべきである。尖閣列島の問題でも軍事衝突を避ける方法を話し合うべきである。台湾問題に関しても台湾住民に同情するわが国民の声を代弁して平和的解決の希望を伝えることが出来るはずだ。  野党も選挙の敗北に打ちひしがれているときではない。平和の危機に対して声を上げてほしい。まずは林外相の訪中を支援し、これを阻もうとする

台湾問題を歴史から考える(5)

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    山口氏も佐橋教授と同様に「米国は台湾を重要なパートナーとして重視するようになっている」とみている(山口10頁)。 (米中国交正常化の時代には台湾を切り捨て、半導体の時代となると手のひらを反すように取り戻そうとする。「独立支援」をにしきの御旗に ― 老人のつぶやき)。 そうしたアメリカの対応に自信を深めたかのように、台湾政府は「独立は求めない」と言いながら、アメリカからの軍事援助を大っぴらに増大させるのみならず、TPPに加入申請をしたり、EU首脳らと会合したり、アメリカ議会議員を台湾に招待して話し合うなど、自らをアメリカ・西欧に向けて積極的にアピールしている。これを「独立志向」というなら、その動きは以前とは比べものにならないほどに大きくなっている。経済界の一部躊躇にもかかわらず「それでも、台湾はアメリカとの関係強化に踏み切っている」(佐橋239頁)のである。 台湾の最近の行動は、中国側からみると、アメリカと台湾の共謀による「準独立」策動と映る。これを「一つの中国」に反する、内政に干渉していると非難する。また、分断化する世界にあって、対峙するアメリカ陣営(すなわち「相手」陣営)に台湾を「奪われる」危機感を抱いているにちがいない。 中国は当然ながら、米台のこうした攻勢に対処しようとしている。佐橋教授は、アメリカが台湾をめぐり軍事面で防御的な意図から行動したとしても「中国がそのように受け取るとは限らない。習近平政権は過去数年にわたり台湾の平和的統一に向けた可能性が遠のいているとの焦りを深めてきたのであり、アメリカの出方に敏感な反応を見せている」とみている(253頁)。 台湾をめぐる米中の対立は、今や「独立」という形式性を超え、米中の台湾「取り込み合戦」とみた方がその実質に近いと思われる。「独立」の達成は米国にとり合戦の勝利を意味することになろう。   わが国のマスコミはいつも「台湾に軍事的圧力をかける中国に対し、米国は台湾寄りの立場を強め、菅政権はそんな米国と歩調を合わせた」(朝日  21.11.12 )というふうに「中国の攻勢、米国の防御」といわんばかりの論調である。隠居老人はかねがね「それは違うのではないか」との疑問を抱いてきた。 いずれにせよ、台湾をめぐる米中の確執は、かつては、中国においては民族感情の発露として、アメリカにおいて

台湾問題を歴史から考える(4)

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  3 米中対立期(2015年ころ~)  比較的安定的にみえていた米中の関係も、中国の著しい経済成長による軍事面を含む大国化、いわゆる中国の台頭は、世界のリーダーを自認しているアメリカにとってその指導的地位を脅かすものと映るようになった。特にトランプ政権になってからの両国間は、経済はもとより政治、軍事においても摩擦が絶えないものとなっている。台湾もその経済的成長が著しく、グローバル経済の中で存在感を高めるようになり、独立を求める台湾国内の世論の高まりも加わって、台湾の独立志向が米中間に最大の危機をもたらしている。    台湾の経済力の大きさ技術水準の高さを示すものとして半導体生産がある。半導体は、AIや5Gなどの先端技術のみならず、あらゆる産業に用いられる 電子機器や装置の頭脳部分としてその中心的役割を果たすもので、現代社会の運営には欠かせない 。台湾の半導体の生産技術の高さと生産量は世界のトップクラスであり、世界の産業はいまや台湾の生産する半導体に左右されかねないものだという。この点の見方はアメリカも中国も同じであり、手っ取り早くいえば、台湾を手中におさめた方が産業経済分野で大きな優位に立てるとまで考えている。    このあたりについて、佐橋教授は「米中対立」の本で、「最先端の半導体生産拠点として台湾経済は飛躍したが、半導体の供給が寸断されればアメリカを含めた世界経済のチョークポイント( 物事の進行を左右する重要な部分 ― 老人 )になるとの主張も目にみえて増えた。バイデン政権の「国家安全保障戦略指針」(暫定版)も、台湾を死活的な経済パートナーと表現している」と書いている(252頁)。 さらに、防衛研究所主任研究官の山口信治氏はもっと露骨に、「米国は中国との貿易・技術戦争を進める上で、重要技術を持つ台湾を中国から切り離し、日米欧など価値を共有する国家との関係を促進しようとしている」とまでいうのである(「東亜」2020年10月号11頁)。  この動きを台湾自身はどう受け止めているのか。具体的な変化の一例として「2020年5月世界最大のシェアをもつ 台湾の 半導体メーカーTSMCが、米国の規制に基づいて中国のファーウェイへの半導体受注生産を停止するとともに、米国内に回路線幅7ナノのチップ(半導体の中でも最先端技術を要するもの)を製造する新工場を建設

台湾問題を歴史から考える(3)

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これに対し、米国は「一つの中国」の形は了解するものの、長年の「同盟国」の中華民国を切り捨ててしまうことは、自由主義陣営のリーダーとしての信頼性を大きく損なうこと、また台湾がソ連に接近してあらたな紛争の種をもたらしかねないことなどを懸念して、①一つの中国はいいが、台湾にもアメリカ政府の連絡事務所をもうけるとか、②台湾と統一する場合でも武力行使ではなく平和的に話し合いでする約束(平和的解決の保障)をさせるとか、③台湾への武器輸出を容認すること、などを中国に求めた。しかし、このうち①は断念し、②③のいずれも了解に達しないまま、急ぐ事情に追われて交渉は打ち切られた。そして、そのまま1978年12月、米中は第二次共同声明を発表し、「台湾は中国の一部である」との中国の立場を改めて確認したうえ、国交樹立に踏み切り、アメリカは中華民国政府と断交した。                                        この未決着部分を残したままの中途半端な国交樹立は、反共的で台湾を重視する アメリカ議会に不満を残し、議会は、断交後の台湾との民間の経済・社会関係を定める「台湾関係法」の審議において、政府原案と大きく異なるものを成立させた。すなわち、台湾海峡における中国の武力の行使をアメリカの「重大関心事」と認め(「アメリカは防御出動する」の意味)、また台湾への防御に要する武器の売却を政府に求めるなど、国内法とはいえ廃棄する米華相互防衛条約と実質的に同じような内容のものであった。 こうして、①中国が台湾に武力行使するのは内政問題である、②中国が台湾に武力行使すれば米国に防衛義務が生じる、などの重要争点で相互了解に至らぬまま、中途半端に「一国二制度」が米中間の「約束事」となって動き出した。 ただ、中国が文化大革命を終了し、改革開放路線により国内経済の再建にまい進するなか、ソ連崩壊により冷戦が終了したことも加わり、米中関係は、未決着部分がさしたる問題となることなく、比較的穏やかで友好的な時期がつづいた。 台湾も、アメリカからの国交断絶措置に対して、ソ連との提携とか核保有に向かうなど、懸念された反発措置をとることなく、世界の大勢としてこれを受け入れ、もっぱら国内の政治社会の発展に力をそそいだ。政治分野では李登輝が1988年に総統に就任して以来、民主化政策が成功し、1996年には

台湾問題を歴史から考える(2)

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    アメリカは、戦前から蒋介石政府の対日戦争を支援してきており、戦後も共産主義勢力とたたかう蒋介石側の支援を継続し、蒋介石が台湾に逃れてからも、さまざまな援助をつづけてきた。1954年には米華相互防衛条約をむすび、台湾に米軍基地をおき、武器供与などもした。ただ、アメリカが、弱き国民党政府に与えた軍事的支援は、冷戦下にあって共産中国への対抗支援の意味はもちろんであるが、蒋介石がその野心から大陸反攻という危険な冒険にでて東アジアの安定を乱すことのないようにおさえる役割もあった。  1954年と58年の2回、台湾海峡で中台間の戦闘が勃発し、米軍も台湾を後方支援したが、いずれも相手領地(大陸と台湾)への侵攻までにいたらず、海峡上の攻防に終始した。これは中国とアメリカの双方が直接衝突を回避しようと努めたことによるものであった。  この時期、毛沢東の中国は蒋介石政府を倒して中国統一の方針をもち続けていたが、大陸での国内統治に追われており、軍事的にも蒋介石の背後にいるアメリカに対抗できる力もなかった。中国は、時に統一の意思を示すために台湾海峡で威迫的行動をおこすにとどめ、統一のための実際行動は先送りされたままであった。   2 米中平穏期=「一国二制度」期 (1972年~2015年ころ)  1972年、まだ冷戦下でベトナム戦争も終わっていない時期、アメリカのニク ソン大統領は、キッシンジャー補佐官に中国との秘密交渉を重ねさせたうえ、訪中して毛沢東、周恩来と会談し、米中関係正常化のための交渉を開始した。「中国人が中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識し、これにアメリカは異論をとなえない」旨の「上海コミュニケ」を発表した。米中関係を大きく転換させる事件であった(写真はニクソンと毛沢東)。  アメリカが対中国正常化に踏み切った背景には、冷戦下でソ連の優位に立つことが何よりも重要であったとき、中ソ対立が先鋭化していた状況をとらえ、「敵の敵は味方」すなわち中国と手をむすぶことがソ連との対決に有利と考えたことなどにある。中国も対立を深めて軍事的衝突にまで発展していたソ連への対抗上、同じ論理でアメリカと手をむすぶことにしたのである。 ただ、米中の正常化交渉は難航し、1978年に国交を樹立するまでに6年を要した。最大の難問は、当然のこと

台湾問題を歴史から考える(1)(「論争」の仕切り直し)

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  「中国はどうして台湾の独立を認めようとしないの」との非難のこもった疑問に答えようとして始めたこのエッセイ。新たな資料を得てあれこれ考えながら過ごしてきた。ただ、台湾をめぐる大きな国際問題をわずかな時間で「分かった」などと簡単に言えるわけはない。以下は隠居老人が少し理解できたかなと思う、いわば中間報告みたいなものである。友人への回答はおそらくこの中にひそんでいると思われる。                                               台湾問題の歴史的背景を知りたい。    知人からよき本を教えてもらった。「共存の模索 ― アメリカと「二つの中国」の冷戦史」(2015年刊)という名前からして敬遠したくなるような本である。だが、辛抱して読むと大いに参考になった。著者はこのブログの最初に紹介した「米中対立」を書いたあの佐橋亮教授である。朝日新聞の時評を書いている藤原帰一教授のお弟子さんのようだ。その系列からわかるようにパワーポリティックスの理論と実際を研究する学者である。   佐橋教授のすぐれたところは(私が言うのもおこがましいが)、アメリカの外交政策の歴史的経過を丁寧に追跡していること(最新の情報開示資料も検討)、それも個々の政策の奥にある「利己主義的意図」「自国中心主義思考」も遠慮なく表に出し、歴史の真実を明らかにする研究態度にある。「共存の模索」のあとがきで彼は書いている。「私は歴史的事実を疎かに扱ってはいけないと思った。歴史という豊かな材料をよりよく説明することでこそ、国際政治の「真理」により近づけるのではないか」と。 その「共存の模索」と「米中対立」の二つの本をベースにして戦後のアメリカと中国との台湾をめぐる対立と交渉の歴史をふりかえってみたい。思い切って要約し平明に説明するため自己流で三つの時代区分に分けてみた。①「米台同盟期」、②「米中平穏期=「一国二制度」期」、③「米中対立期」として。 1 米台同盟期(1945年~1971年ころ)  戦後、台湾が日本の植民地支配から解放されて蒋介石の中華民国に返還された時期からニクソン訪中による米中国交正常化が始まるころまでの時期、アメリカと台湾とが同盟関係にあった時期である。  日本の中国侵略に対して、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党は「抗日統一戦線」を組んで共同して戦

台湾独立をめぐる友人との「論争」(2)

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  ( b)   「一国二制度」は独立を妨げる正当化理由とすることができるか。たしかに、アメリ カ、日本をはじめ世界の主要国は「一国二制度」に賛同し、その上で中国と国交を樹立し台湾とは断交した経緯がある。ここから「一国二制度」は今や国際ルールとなっている。  したがって、中国がこのルールを重んじて、台湾独立を支援するのを国際ルール違反とみることはまちがっていない。アメリカをはじめ諸外国がみずから加わって作りあげたルールを棚にあげ、ひそかに(時には大っぴらに)台湾独立を支援しようとするとき、中国がこれに抗議するのは当然である.  (c)    問題はその先である。「過去はそのとおりだ。しかし、時代が変わったのだから『一国二制度』も見直すべきで、このルールをいつまでも金科玉条としている中国の態度は、あまりにも狭量で人々の幸せを考えていない」と言われると、たしかに反論もしにくい。友人らの考えはここにあろう。     (d)    だが、現在世界的に展開されている台湾独立支援の動きで中心となっているのは、台頭著しい中国との対立姿勢を一段と強めているアメリカである。その背景を考えると、独立したあかつきの台湾は、アメリカの対中国封じ込め包囲網の一員、しかも地理的な最短距離にあって真っ先に角突き合わせる立場とならざる得ないことは目にみえている。     これでは、中国が台湾独立に賛成できないのも当然ではないだろうか。 自国に害をもたらしかねないもの を容認するわけにはいかない。      (e)このことは逆に考えれば、中国にとって独立台湾が自国に害をもたらさず(できれば)かえって有利な面さえ生じさせてくれるとなれば、中国が「一国二制度」を見直す可能性を示唆するものではないだろうか。  ここまで書いて行き詰ってしまった。私は何を書いているのだろう?    理屈、リクツ、理屈・・・中国を擁護する理屈を並べている・・・。  友人はとうてい納得できまい。議論を続けていけば、彼も中国批判の理屈で反 論するだろう。二人は不毛な議論をしているのだ!   隠居老人がこのブログを立ち上げたのは、中国の弁護をするためではない。    国情の違いがあり意見の違いがあっても、日本と中国は平和共存、協調共栄であってほしい、なんとしても戦争を回避してほしい「祈り」であったはず。 老人はどこかで道を間違え「迷

台湾独立をめぐる友人との「論争」(1)

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  友人と久しぶりに酒を酌み交わす機会があった。たわいない話をするうちに、話題は台湾の問題に及んだ。お互いリベラル派とうぬぼれている。政治の話になることは珍しくない。大方はこの面でもウマがあっている。  ところが今回はいけない。ちっともかみ合わないのだ。彼は「中国は台湾の独立をどうして認めないの。あれだけ台湾の人々が独立を求めているのに」という。私の話し下手もあって彼は私の意見にはとうてい納得しがたい様子。   よくよく考えてみると、彼のような考えは今の日本のほとんどすべて人のものかもしれない。台湾の独立を認めない中国を擁護するかのような私の意見は非常識に近いものかもしれない。私の気持ちは落ち着かない。    台湾の問題は、当然いずれゆっくりこのブログでも取り上げるつもりでいたが、もやもやした気持ちのこの時点で、とりあえず大雑把にでも整理してみたい。自分なりには納得しているが、はたしてどこまで説得力があるのか。 ①    私も台湾の人々が独立を望むならそれが適えられたらいいと思う。応援したい気持ちさえある。それが簡単にはいかないのだ。 ②   台湾の独立とは「独立宣言」することだけではない。まずアメリカ、日本その他国際社会がその独立を「承認」して「国交樹立」することがなければ実現したとはいえない。この二つがなければ「独立宣言」は絵に描いた餅にすぎない。 ③   言い換えれば、台湾が独立するということは国際的に「二つの中国」を認めるということである。これまでのアメリカ、日本など国際社会は「一つの中国」しか認めてこず、中国のいう「一国二制度」を容認してきた。その外交方針を改めるということである。 ④   他方、中国は建国以来「一つの中国」を国是としている。台湾を自らの領土の一部だとし、それを「核心的利益」としてきた。当然台湾の独立を許そうとはしない。理由をつけるとすれば「大事な国土人民の一部だ、これを失うことの損害は計り知れない」ということになろうか。 ⑤   そこで友人の不審だ。「過去はともかく、時代が変ってきて、台湾の人々の独立志向が高まっている。いつまでもこれを抑え込む中国の態度は専制支配そのものではないか、独立を妨害するまともな理由はない」というのであろう。   (a )たしかに、中国側の国家経済的そろばん勘定では人々を納得させることはで

南シナ海・領有権争いと米中パワー対立(6)

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  仲裁裁判について 国連海洋法条約にもとづく仲裁裁判所は2016年に、フィリピンが中国を相手に提訴した南シナ海紛争事件について、仲裁判断をくだした。  その中心部分の結論だけいえば「ス諸島には200海里の排他的経済水域や大陸棚を持つ島は一つもなく、せいぜい20海里の領海しかもたない岩が存在するだけだ。・・・大陸棚を持つ国(フィリピン)がその上にある岩を領有する」とした。 排他的経済水域( EEZ )における鉱物・水産資源に狙いがあるからこそ、関係諸国はちっぽけな島しょの実効支配に懸命となってきたのだ。仲裁判断は中国に大きな敗北をもたらしたが、ベトナム、マレーシアも失望させる内容を含んでいた。中国の占拠した島しょの一定部分をフィリピンの領有とするなどフィリピンの一人勝ちであった。  中国は仲裁裁定の相手となる「参加」をしていないのに、フィリピン勝利の結論を押し付けられるのを拒否している。その無効を主張する法律論もあながち無茶とは思えない。また今回の提訴は、島しょの領有権を正面から審理する裁判ではなく、島しょの形状・位置(島か岩か低潮高地か)などに関する海洋法の解釈を求める仲裁裁判である。いわば「からめ手」の裁判で勝利を得ようとしたフィリピンの姿勢を問題としている。根本には、フィリピンが戦後南シナ海の領有を主張し始めたころは、周辺の国から冷笑されるほどに根拠の薄弱なものであったのに、その後、領有根拠を変えて地勢的有利さにしぼって主張するようになった、その変わり身も納得していないのだろう。 ただ、中国は海洋法を批准している国家なので、仲裁裁判の提訴相手となった以上「参加」しなくてもその判断に従うべきであろう。少なくともフィリピンとの間では、この結論を受け入れて二国間交渉にのぞむのが国際ルールを遵守する大人の態度だと思われる。交渉次第ではフィリピン側に主権があるとされた島しょについても、これを租借して利用すること(たとえ軍事基地であろうと)はできるのであるから( ドゥテルテ比大統領が仲裁判断を「紙切れにすぎない」と述べたのは交渉こそ本番との趣旨であろう )。 仲裁裁判の当事者となっていないベトナムやマレーシアは、この裁定を受け入れなければならない義務はなく、したがって、中国はこれらの国とは自由に交渉することはできる。ただ、海洋法批准国である以上、仲裁裁判所

南シナ海・領有権争いと米中パワー対立(5) 

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中国が国内で中距離ミサイルを増やしたり空母や潜水艦を建造することに対して、国力の増大にみあう通常の防衛力向上と言われれば、アメリカとしてもこれを非難する理由をみつけにくい。だが、中国の南シナ海進出については、弱小国ベトナム、フィリピンから武力で「島々を奪って」基地建設したと喧伝できるだけに、中国の覇権姿勢イメージを醸成するのに格好なものであった。 アメリカにしてみれば、中国の南シナ海での滑走路建設は、アメリカが作りあげた中国封じ込めラインの一角に「ほころび」を生じる事態であることはまちがいない。自らの優位のもとでのパワーバランスがわずかでも崩れようものなら「焦り」「動揺」するのがアメリカの常である。佐橋教授はこのようなアメリカと中国の関係について、中国政府が「既存の国際統治メカニズムから巧みにすり抜け、そのような行為を抑止したり、対処しようとしたりするアメリカ政府の試みを回避することで、アメリカの利益を脅かすような政策をとり始めている」との専門家の「分析」を紹介している(「米中対立」117p)。 南シナ海問題は、アメリカが弱小国ベトナム、フィリピンなどのために一肌脱いでいるのではなく、自国の利益のために中国を非難しつつ対抗しようとしているとみるべきではないだろうか。今やASEAN諸国も東南アジアでの米中の対立の先鋭化を迷惑がっている。   米中対立の領有権争いにあたえる影響 中国による2014年以降の3本の滑走路築造にもかかわらず、ASEAN諸国と中国との間のDOCを具体化する行動規範に向けての話し合いは、難航しつつも辛抱強く継続されている。ASEAN諸国は滑走路が主にアメリカに向けられた軍事施設であって周辺国を威嚇しようとしたものではないことを理解しているのだ。威嚇されながら話し合いを続けるほどASEANはやわではない。   ASEAN諸国はまた中国との友好善隣関係が対立・衝突よりも重要だと認識している。中国も自国の利益のために近隣ASEAN諸国との信頼関係は欠かせず、この関係が損なわれれば尊敬される大国化への道は閉ざされることを理解していると思われる。( つづく  5/6  明日は「仲裁裁判」を考え、この項をおしまいとしたい)。  

南シナ海・領有権争いと米中パワー対立(4)

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  米中パワー対立 南シナ海問題についても、アメリカは2000年ころまでは単なる領土紛争とみて、特にどちらにも味方しないスタンスであった。ところが、中国の経済的台頭が著しくなるにつれて警戒感が高まるなか、2014年ころからの中国による巨大な3本の滑走路建造は、南シナ海の島しょ占拠のもつ軍事的意味合いを鮮明にさせ、アメリカの中国非難は一気に高まった。日本を含めた西側世界のマスコミ・世論も、南シナ海における中国の行動がいよいよ牙をむきだした覇権行動の第一歩であるかのような非難の目を向けるようになった。      だが、いささか誇張があるように思われてならない。 滑走路はたしかに軍事目的であろう。しかし、カリブ海に造ったわけではなく、ハワイ沖の島を造成したわけでさえない。南シナ海の滑走路はアメリカ本土に戦闘機を向けるにしては遠すぎる。また前記のとおりASEAN諸国を脅すために造る必要も考えにくい。 そうすると、軍事施設たる滑走路は、中国がアメリカなどの他国に狙いを定めるためではなく、自国防衛の一環として造ったものと考えるのがまっとうな見方ではないだろうか。アメリカの中国封じ込め政策に対する防御である。南シナ海をわがもの顔で走行するアメリカ艦船に対しては防御・偵察のために相当に効果があろう。中国を標的にするグァム島の米軍基地に対してもいくらかのにらみを効かすことになるかもしれない。    自己防衛的な色彩の濃い行動にもかかわらず、中国の南シナ海進出は、他国への支配力影響力を及ぼす覇権行動の代表例であるかのように喧伝されている。南シナ海に進出してむしろ多数の島を占拠し、そこに同じく軍事施設を造っているベトナムやフィリピンが非難されることは決してない。中国に悪意をもつ誰かがためにする見方を広めたのではないだろうか。世のマスコミが、現地取材しにくい海域での出来事についてアメリカやベトナム、フィリピンなどの一方的な情報だけを集めて世論形成していることも原因していると思われてならない。(明日に つづく   4/6)

南シナ海・領有権争いと米中パワー対立(3)

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  8 ス諸島の島しょ占拠合戦は1990年代後半ころを期に、各占拠の現状を維持し大きな波風が立たないままほぼ鎮静化していた。   二国間あるいは中国とASEAN(ベトナム、フィリピン、マレーシアも加入)との間で種々の話し合いがもたれるようになった。そして、ASEANと中国は、2002年領有権紛争を平和的手段での解決をめざすことなどをうたった「南シナ海における関係国の行動宣言」(DOC)に合意し調印した。  その後、両者はさらにこの行動宣言を具体化するものとして、あらたな占拠活動はせず(武力行使をせずに)現状を固定化することなどをメインとするさらに一歩進んだ条約づくり(行動規範)に向けて話し合いを重ねていた。   9 紛争が平和的解決に向けて進展していくかにみえた背景には、中国とASEAN諸国との双方にとり協調による利益の方が衝突・対決よる利益よりも大きいことを了解し合った結果と思われる。   すなわち、中国にとっては、自国の大国化がアメリカ、日本などとの競争を深刻にし対立にまでいたることが予想されるなか、近隣国としてこれまた力をつけてきたASEANとの友好関係を継続することが安定した経済的成長のためにはもとより安全保障上も重要となってきたこと。  またベトナム、フィリピン、マレーシアにとっても、大国化する中国を恐れる気持ちとともに、中国と良好な関係を築くことが自国だけでなく地域の成長発展にとっても不可欠であるとの共通の認識に生まれてきたこと、こうした背景事情が指摘できよう。 10  ところが、21世紀に入ってからの中国の経済成長はさらに著しく、先進資本国が驚きとともに競争相手として警戒を強めるようになっていたとき、2014年ころ中国が南シナ海に占拠していた島しょの埋め立てを加速し、ついに軍事的意味をもつ3000メートル級の滑走路を次々と築造していることが明らかとなった。このことが東アジアに影響力を持つアメリカをひどく刺激し、中国の覇権主義的行動として世界に喧伝されるようになった。 中国による南シナ海島しょの大きな現状変更は、平和的話し合いを進めようとしていたベトナム、フィリピンにも少なくない衝撃を与えたと思われるが、このことは南シナ海紛争がもたらした米中対立の実相をみた後にもう一度検討してみたい。(明日に つづく   3/6)  

南シナ海・領有権争いと米中パワー対立(2)

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  6 中国の占拠過程においては、1988年にサウスジョンソン礁(中国名・赤瓜礁)をめぐってここを実効支配していたベトナム軍との間で武力衝突が起り、中国はこれを制して占拠した。ベトナムに兵士約30人の死者がでた。その後も中国は、フィリピンが実効支配していたミスチーフ礁を占拠 した( その方法がフィリピン軍の監視のすきをみて構造物を建造したため一騒ぎがあった)ほか、全部で7つの礁を実効支配するに至った。 7 サウスジョンソン礁における武力衝突など中国の占拠過程については、他国が先に実効支配していた島しょを無法に「奪った」ものと非難する向きが多い。だが、対象の各礁部分はもともと相手国の主権が及ぶ領土ではない係争地域なので、 客観的には中国 の武力行使を侵略行動(主権侵害)とみるべきではない。   ちなみに、未発見の無人島などについてはこれを最初に「発見」した国に主権が与えられる「先占」という国際法上の慣習があるが、ス諸島の島しょは戦前からその存在が知られているものであるから、ベトナムやフィリピンの実効支配は「先占」には当たらない。  実効支配とは、領有権争いのある地域を一方の国が相手国の承認を得ないまま、軍隊を置くなどして実質的に統治している状態といわれる。国境紛争と同じに考えていい。一方の国がその紛争地内の要衝陣地を確保していても相手国から奪いかえされることは予想される事態であり、そこに武力が用いられたとしても、占領そのものが武力を背景とする性格であることからすると、攻撃された側が相手を非難できるものではない。領土紛争においては 国際法上も、特 段の事情のない限り 先に実効支配した側に「奪われない権利」までは保障していない。係争地をめぐる双方の権利はフィフティフィフティというべきか。ベトナム、フィリピンが武力を用いず先に占拠できたのは他の国が武力で妨害しなかったというだけのことである。ベトナム、フィリピンに先に占拠した島しょが武力で奪われることを妨げる特段の事情はなかった。 (非難はせいぜい「中国は大国なのだから弱小国に譲ってやれよ」というくらいではないのか。それに対して中国は反論するだろう。「こちらは本体の島ではなくちっぽけな礁に的を絞った控え目な占拠行動だった。それでも相手国の占拠数とくらべてまだ相当に少ない」と)。(明日に つづく    2/6)