「ウイグル問題」に思う(2)

「思想改造」について 

中国の「人権問題」報道に接して、いつも念頭に浮かぶもう一つは、「思想改造」という言葉である。「中国」では「思想改造」(思想教育というべきか)なら今でも行われている可能性がある。 

ハリウッド映画の「ラストエンペラー」を観た人は多いと思う。坂本龍一が音楽を担当し自ら満州国を牛耳った甘粕大尉を演じた、あの清朝最後の皇帝「溥儀」(日本の傀儡国家「満州国」の初代皇帝でもある)の波瀾万丈の人生を描いた傑作である。私はDVDも入れて3、4回は観た。 

中国共産党が内戦で蒋介石の国民党に勝って中華人民共和国の建国宣言をした1949年ころ、元満州国皇帝「溥儀」が何人かの配下と共に人民解放軍につかまり収容所に入れられる。皇帝時代の支配者思想と日本帝国主義に協力した売国思想を厳しく徹底的に自己批判させられる、そうした収容生活が描かれる。取調べ室で「溥儀」に対して一方的に怒鳴りまくる係官と穏やかに見守る収容所長との対比が面白かった。何年かの後に「溥儀」は自己批判を完遂し「思想改造」が終了したとして無事に収容所を出ることになる。「溥儀」が収容者全員の前で出所を告げられる場面ではあの収容所長の温かい励ましのまなざしもあった。そして植木職人として第二の「穏やかな」人生を歩み出した「溥儀」がある日、それは文化大革命の最中であったが、街角で紅衛兵の一団に出会う。そこになんとあのやさしかった収容所長が赤い三角帽子をかぶせられ引き回されているではないか。「溥儀」は思わず所長のところに駆け寄ろうとする・・・。 

中国ではその建国以来、いわゆる政治犯に対しては、その矯正教育として「思想改造」が行われてきた。いわゆる批判と自己批判を通じて、「誤った思想」を「正しい思想」に変えようとする人間教育である。 

岩波書店から「解放の囚人」という名の新書もでた。そこには新中国で、古き封建的思想、支配者思想のまま捕まった政治犯が、刑務所で批判と自己批判の厳しい受刑生活を送り、「まっとうな人民」に「成長する」過程が感動的に書かれてあったような気がする(なにせ古い記憶!)。左翼だけでなく、軍国主義日本の非人間性に絶望の思いを抱いていた知識人層の一部に好意的に読まれていたように思う。 

しかし、その後の文化大革命と改革開放を経た中国では、革命直後の自己犠牲をともなう高い道徳性(解放軍兵士が典型)を絶賛する空気は薄まり、金儲けなど普通の人間の普通の利己主義を肯定するなど、社会観人間観に大きな変化をもたらした。日本の知識層の一部にあった中国賛美も潮が引くように薄れたのである。これが今日の中国批判大合唱に対して抵抗の声の小さい背景となっているように思える。 

ともかく、今や人間性の評価において他の社会とさほど変わりのない普通の国となった中国でも、政治犯に対しての「思想改造」は、なお、あの伝統的な「批判」と「自己批判」の方法で行われている可能性がある。どこの国でも、刑務所では犯罪者に対してまっとうな人間になるべく矯正教育は行われているが、中国のそれは(共産主義イデオロギーの特色かもしれないが)伝統的にかなり徹底されているのかもしれない。 

新疆ウイグル地区では、イスラム過激派の政治犯が多いと言われている。イスラム過激派にみられた聖戦思想などは「思想改造」の格好の対象となったのではあるまいか。それが一定の政治勢力には耐え難い「人権抑圧」と映っている可能性は大いにある。(了 2/2) (1)にもどる  

12/13 追記 新疆ウイグル問題について、共同通信客員論説委員の岡田充氏のメールマガジン上の報告を見つけました。

  

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