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林外相への訪中要請 (日々の想い)

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  今朝( 21.11.24 )の朝日新聞「自民、対中姿勢軟化に警戒感 林外相への訪中要請に反発も」の記事には滅入ってしまう。  林外務大臣が中国側から対話のための訪中要請を受けたことに関し、自民党の外交部会で佐藤正久部会長が「この時期の外相の訪中は、慎重の上にも慎重を期していただきたい。完璧に間違ったメッセージを海外に出すことに他ならない」と苦言を呈すると、複数の出席議員から「そうだ」と同調する声が上がったという。  日中の外相が話し合うことすら自民党の一部は反対する。佐藤議員は元陸上自衛官で、新安保法制の審議の際に大活躍した党内タカ派の中心である。その声は、しかし、政権党のうち一部タカ派の意見にすぎない、と軽くみることはできない。安倍内閣以来の「日米同盟重視、対中敵対外交」推進エンジンの唸り声というべきであろう。  「中国の外交政策に脅威を思わせるものがあり、その脅威は日本にも及んでいる」「中国は国内少数民族や人権を弾圧している」などなど、中国に対して厳しい意見が国民の間に広がっていることはいなめない。(私はそのような意見に「誤解」「誇張」「フェイク」があるのではないかと考え、このブログを開設したのだが)  仮に、今国民の中にある中国に対する不信・疑念が正しいものと考えるにしても、だからと言って、中国と戦争すべきだとか、戦争になってもやむをえないと考える人は少数であるはずだ。   相手がどんな悪性を持った国家であろうとも、戦争を避けるためには、まずは話し合いをすべきである。中国に対して日本の政府が国民と「共有」している疑念を真正面からぶつけ、その疑念のもつれた糸を幾分でもほどいて、戦争を回避する「共存」「協調」への道を探るべきではないのか。  今や平和に対する不穏な空気は米中の間にだけあるのではない。アメリカと「共同歩調」をとる日本と中国との間にも戦争の危険は忍び寄っている。  政権党は、この平和の危機に対して、打開の道をさぐるべきである。尖閣列島の問題でも軍事衝突を避ける方法を話し合うべきである。台湾問題に関しても台湾住民に同情するわが国民の声を代弁して平和的解決の希望を伝えることが出来るはずだ。  野党も選挙の敗北に打ちひしがれているときではない。平和の危機に対して声を上げてほしい。まずは林外相の訪中を支援し、これを阻もうとする

台湾問題を歴史から考える(5)

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    山口氏も佐橋教授と同様に「米国は台湾を重要なパートナーとして重視するようになっている」とみている(山口10頁)。 (米中国交正常化の時代には台湾を切り捨て、半導体の時代となると手のひらを反すように取り戻そうとする。「独立支援」をにしきの御旗に ― 老人のつぶやき)。 そうしたアメリカの対応に自信を深めたかのように、台湾政府は「独立は求めない」と言いながら、アメリカからの軍事援助を大っぴらに増大させるのみならず、TPPに加入申請をしたり、EU首脳らと会合したり、アメリカ議会議員を台湾に招待して話し合うなど、自らをアメリカ・西欧に向けて積極的にアピールしている。これを「独立志向」というなら、その動きは以前とは比べものにならないほどに大きくなっている。経済界の一部躊躇にもかかわらず「それでも、台湾はアメリカとの関係強化に踏み切っている」(佐橋239頁)のである。 台湾の最近の行動は、中国側からみると、アメリカと台湾の共謀による「準独立」策動と映る。これを「一つの中国」に反する、内政に干渉していると非難する。また、分断化する世界にあって、対峙するアメリカ陣営(すなわち「相手」陣営)に台湾を「奪われる」危機感を抱いているにちがいない。 中国は当然ながら、米台のこうした攻勢に対処しようとしている。佐橋教授は、アメリカが台湾をめぐり軍事面で防御的な意図から行動したとしても「中国がそのように受け取るとは限らない。習近平政権は過去数年にわたり台湾の平和的統一に向けた可能性が遠のいているとの焦りを深めてきたのであり、アメリカの出方に敏感な反応を見せている」とみている(253頁)。 台湾をめぐる米中の対立は、今や「独立」という形式性を超え、米中の台湾「取り込み合戦」とみた方がその実質に近いと思われる。「独立」の達成は米国にとり合戦の勝利を意味することになろう。   わが国のマスコミはいつも「台湾に軍事的圧力をかける中国に対し、米国は台湾寄りの立場を強め、菅政権はそんな米国と歩調を合わせた」(朝日  21.11.12 )というふうに「中国の攻勢、米国の防御」といわんばかりの論調である。隠居老人はかねがね「それは違うのではないか」との疑問を抱いてきた。 いずれにせよ、台湾をめぐる米中の確執は、かつては、中国においては民族感情の発露として、アメリカにおいて

台湾問題を歴史から考える(4)

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  3 米中対立期(2015年ころ~)  比較的安定的にみえていた米中の関係も、中国の著しい経済成長による軍事面を含む大国化、いわゆる中国の台頭は、世界のリーダーを自認しているアメリカにとってその指導的地位を脅かすものと映るようになった。特にトランプ政権になってからの両国間は、経済はもとより政治、軍事においても摩擦が絶えないものとなっている。台湾もその経済的成長が著しく、グローバル経済の中で存在感を高めるようになり、独立を求める台湾国内の世論の高まりも加わって、台湾の独立志向が米中間に最大の危機をもたらしている。    台湾の経済力の大きさ技術水準の高さを示すものとして半導体生産がある。半導体は、AIや5Gなどの先端技術のみならず、あらゆる産業に用いられる 電子機器や装置の頭脳部分としてその中心的役割を果たすもので、現代社会の運営には欠かせない 。台湾の半導体の生産技術の高さと生産量は世界のトップクラスであり、世界の産業はいまや台湾の生産する半導体に左右されかねないものだという。この点の見方はアメリカも中国も同じであり、手っ取り早くいえば、台湾を手中におさめた方が産業経済分野で大きな優位に立てるとまで考えている。    このあたりについて、佐橋教授は「米中対立」の本で、「最先端の半導体生産拠点として台湾経済は飛躍したが、半導体の供給が寸断されればアメリカを含めた世界経済のチョークポイント( 物事の進行を左右する重要な部分 ― 老人 )になるとの主張も目にみえて増えた。バイデン政権の「国家安全保障戦略指針」(暫定版)も、台湾を死活的な経済パートナーと表現している」と書いている(252頁)。 さらに、防衛研究所主任研究官の山口信治氏はもっと露骨に、「米国は中国との貿易・技術戦争を進める上で、重要技術を持つ台湾を中国から切り離し、日米欧など価値を共有する国家との関係を促進しようとしている」とまでいうのである(「東亜」2020年10月号11頁)。  この動きを台湾自身はどう受け止めているのか。具体的な変化の一例として「2020年5月世界最大のシェアをもつ 台湾の 半導体メーカーTSMCが、米国の規制に基づいて中国のファーウェイへの半導体受注生産を停止するとともに、米国内に回路線幅7ナノのチップ(半導体の中でも最先端技術を要するもの)を製造する新工場を建設

台湾問題を歴史から考える(3)

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これに対し、米国は「一つの中国」の形は了解するものの、長年の「同盟国」の中華民国を切り捨ててしまうことは、自由主義陣営のリーダーとしての信頼性を大きく損なうこと、また台湾がソ連に接近してあらたな紛争の種をもたらしかねないことなどを懸念して、①一つの中国はいいが、台湾にもアメリカ政府の連絡事務所をもうけるとか、②台湾と統一する場合でも武力行使ではなく平和的に話し合いでする約束(平和的解決の保障)をさせるとか、③台湾への武器輸出を容認すること、などを中国に求めた。しかし、このうち①は断念し、②③のいずれも了解に達しないまま、急ぐ事情に追われて交渉は打ち切られた。そして、そのまま1978年12月、米中は第二次共同声明を発表し、「台湾は中国の一部である」との中国の立場を改めて確認したうえ、国交樹立に踏み切り、アメリカは中華民国政府と断交した。                                        この未決着部分を残したままの中途半端な国交樹立は、反共的で台湾を重視する アメリカ議会に不満を残し、議会は、断交後の台湾との民間の経済・社会関係を定める「台湾関係法」の審議において、政府原案と大きく異なるものを成立させた。すなわち、台湾海峡における中国の武力の行使をアメリカの「重大関心事」と認め(「アメリカは防御出動する」の意味)、また台湾への防御に要する武器の売却を政府に求めるなど、国内法とはいえ廃棄する米華相互防衛条約と実質的に同じような内容のものであった。 こうして、①中国が台湾に武力行使するのは内政問題である、②中国が台湾に武力行使すれば米国に防衛義務が生じる、などの重要争点で相互了解に至らぬまま、中途半端に「一国二制度」が米中間の「約束事」となって動き出した。 ただ、中国が文化大革命を終了し、改革開放路線により国内経済の再建にまい進するなか、ソ連崩壊により冷戦が終了したことも加わり、米中関係は、未決着部分がさしたる問題となることなく、比較的穏やかで友好的な時期がつづいた。 台湾も、アメリカからの国交断絶措置に対して、ソ連との提携とか核保有に向かうなど、懸念された反発措置をとることなく、世界の大勢としてこれを受け入れ、もっぱら国内の政治社会の発展に力をそそいだ。政治分野では李登輝が1988年に総統に就任して以来、民主化政策が成功し、1996年には

台湾問題を歴史から考える(2)

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    アメリカは、戦前から蒋介石政府の対日戦争を支援してきており、戦後も共産主義勢力とたたかう蒋介石側の支援を継続し、蒋介石が台湾に逃れてからも、さまざまな援助をつづけてきた。1954年には米華相互防衛条約をむすび、台湾に米軍基地をおき、武器供与などもした。ただ、アメリカが、弱き国民党政府に与えた軍事的支援は、冷戦下にあって共産中国への対抗支援の意味はもちろんであるが、蒋介石がその野心から大陸反攻という危険な冒険にでて東アジアの安定を乱すことのないようにおさえる役割もあった。  1954年と58年の2回、台湾海峡で中台間の戦闘が勃発し、米軍も台湾を後方支援したが、いずれも相手領地(大陸と台湾)への侵攻までにいたらず、海峡上の攻防に終始した。これは中国とアメリカの双方が直接衝突を回避しようと努めたことによるものであった。  この時期、毛沢東の中国は蒋介石政府を倒して中国統一の方針をもち続けていたが、大陸での国内統治に追われており、軍事的にも蒋介石の背後にいるアメリカに対抗できる力もなかった。中国は、時に統一の意思を示すために台湾海峡で威迫的行動をおこすにとどめ、統一のための実際行動は先送りされたままであった。   2 米中平穏期=「一国二制度」期 (1972年~2015年ころ)  1972年、まだ冷戦下でベトナム戦争も終わっていない時期、アメリカのニク ソン大統領は、キッシンジャー補佐官に中国との秘密交渉を重ねさせたうえ、訪中して毛沢東、周恩来と会談し、米中関係正常化のための交渉を開始した。「中国人が中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識し、これにアメリカは異論をとなえない」旨の「上海コミュニケ」を発表した。米中関係を大きく転換させる事件であった(写真はニクソンと毛沢東)。  アメリカが対中国正常化に踏み切った背景には、冷戦下でソ連の優位に立つことが何よりも重要であったとき、中ソ対立が先鋭化していた状況をとらえ、「敵の敵は味方」すなわち中国と手をむすぶことがソ連との対決に有利と考えたことなどにある。中国も対立を深めて軍事的衝突にまで発展していたソ連への対抗上、同じ論理でアメリカと手をむすぶことにしたのである。 ただ、米中の正常化交渉は難航し、1978年に国交を樹立するまでに6年を要した。最大の難問は、当然のこと

台湾問題を歴史から考える(1)(「論争」の仕切り直し)

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  「中国はどうして台湾の独立を認めようとしないの」との非難のこもった疑問に答えようとして始めたこのエッセイ。新たな資料を得てあれこれ考えながら過ごしてきた。ただ、台湾をめぐる大きな国際問題をわずかな時間で「分かった」などと簡単に言えるわけはない。以下は隠居老人が少し理解できたかなと思う、いわば中間報告みたいなものである。友人への回答はおそらくこの中にひそんでいると思われる。                                               台湾問題の歴史的背景を知りたい。    知人からよき本を教えてもらった。「共存の模索 ― アメリカと「二つの中国」の冷戦史」(2015年刊)という名前からして敬遠したくなるような本である。だが、辛抱して読むと大いに参考になった。著者はこのブログの最初に紹介した「米中対立」を書いたあの佐橋亮教授である。朝日新聞の時評を書いている藤原帰一教授のお弟子さんのようだ。その系列からわかるようにパワーポリティックスの理論と実際を研究する学者である。   佐橋教授のすぐれたところは(私が言うのもおこがましいが)、アメリカの外交政策の歴史的経過を丁寧に追跡していること(最新の情報開示資料も検討)、それも個々の政策の奥にある「利己主義的意図」「自国中心主義思考」も遠慮なく表に出し、歴史の真実を明らかにする研究態度にある。「共存の模索」のあとがきで彼は書いている。「私は歴史的事実を疎かに扱ってはいけないと思った。歴史という豊かな材料をよりよく説明することでこそ、国際政治の「真理」により近づけるのではないか」と。 その「共存の模索」と「米中対立」の二つの本をベースにして戦後のアメリカと中国との台湾をめぐる対立と交渉の歴史をふりかえってみたい。思い切って要約し平明に説明するため自己流で三つの時代区分に分けてみた。①「米台同盟期」、②「米中平穏期=「一国二制度」期」、③「米中対立期」として。 1 米台同盟期(1945年~1971年ころ)  戦後、台湾が日本の植民地支配から解放されて蒋介石の中華民国に返還された時期からニクソン訪中による米中国交正常化が始まるころまでの時期、アメリカと台湾とが同盟関係にあった時期である。  日本の中国侵略に対して、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党は「抗日統一戦線」を組んで共同して戦