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大軍拡路線の背景 台湾をめぐる米中対立

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  (先日、西神ニュータウン9条の会の勉強会で「東アジアの平和と日本」とのテーマで報告させていただきました。本稿はその報告に若干の手を加えたものです。末尾に勉強させていただいた本など主なものを挙げています。)   安保関連3文書ができた背景、米中の対立、特に台湾をめぐる紛争についての、レジュメにそって報告をさせていただきます。 「中国脅威論」なるものの実態に迫っていければ、と願っています。 キーワードとして、「アメリカの恐怖」、「中国の恐怖」をあげました。長々となる報告のアクセントになれば、との思いからです。  1 中国と台湾、分裂と相克の歴史    台湾は、17世紀末、清の時代に征服されて、中国の一部になりました。   日本は1895年(明治28年)、日清戦争に勝って清国から台湾を譲り受けました。以後、太平洋戦争が終わるまで、台湾を植民地支配しました。   敗戦で終わった時、日本は他国から奪った領土を放棄することとなり、台湾も中国に返還しました。1945年のことです。 2 内戦 中華人民共和国の建国 蒋介石の台湾   日中戦争中、蒋介石の率いる国民党と毛沢東の率いる共産党は、統一戦線を組んで日本と闘いました。だが、終戦とともに両者の間で内戦が始まります。中国をどちらが支配するかをめぐり、共産党と国民党との間で激しい内戦となったのです。    内戦は数年続き、1949年(昭和24年)に共産党の人民解放軍は、本土のほぼ全域を制覇しました。蒋介石の国民党は、本土を逃れて台湾に移り、そこで捲土重来を期したのでした。台湾に行ったことのある方は、台北にある故宮博物館の財宝を見たことがあると思います。あれは、国民党軍が北京を離れるときに、そこにあった故宮博物館から持ち出した財宝であります。わが方こそ、中国の代表であることを示さんとする象徴的な品々であるように思えます。    毛沢東の共産党も、内戦に大きな犠牲を払いました。本土を支配することができたものの、台湾に逃れた蒋介石の国民党軍を追いかけて打倒し、台湾を奪回する余力はありませんでした。こうして、1949年以降、台湾には中国本土と対立する別の政権が支配する状態となりました。 蒋介石政府は、中華民国という前々からの国名を台湾でも維持し、中国を代表する政府として、戦後成立した国連の一員、しかも常任理事国