「ウイグル問題」に思う(1)
世界中が「ウイグル問題」で中国を非難している。バイデン大統領は民主主義サミットなるものを開催した。中国に対する人権侵害非難の大合唱である。
火のないところに煙は立たない。少なくとも西欧的人権感覚からみて、肯定できない何らかの事態が新疆ウイグル地区で起こっている可能性はあると思う。
ただ、その内容程度ははっきりしない。情報は確かなのであろうか。ましてやそれをジェノサイド(人種的集団虐殺)とまで非難するなら、どんな確かな情報(証拠)に基づいているのかを、国際信義のうえからも明らかにすべきであろう。
わが国で広く読まれている雑誌によれば、情報発信の中心となったのはエイドリアン・ゼンツというドイツ人学者、アメリカ在住で「共産主義犠牲者記念財団」という団体の上席研究員だという(文藝春秋21年9月号115頁)。その肩書からしていかにもうさん臭い。トランプ大統領以来、アメリカから発せられる情報にはフェイク(嘘)のあることを日本の政府もマスコミも分かっているはずである。
中国の「人権侵害」とイスラム女性
中国の人権問題に関する非難報道に出会うとき、二つの事柄が頭にうかぶ。
一つは、世界に人権侵害とみられる事例は沢山あり、ジェノサイドはともかくとして言論表現の自由に匹敵する重みをもつ人権問題はいたるところにある。なのになぜ、中国の人権問題だけがニュースで大きく取り上げられるのか、という点である。
たとえば、中東アラブ地域などのイスラム圏では女性の人権が制限されている。近親者以外には肌をみせてはいけない(顔や手を除き)といわれる服装をはじめ、その結婚、就職、参政権など多く生活分野で、女性に課せられる義務は沢山あって、その自由は大きく制約され、男性と差別されているようだ。内部で人権向上のために闘う女性に対し厳しい制裁のあることも想像できる。
男女平等観念がすすみ、女性の地位向上の著しい昨今の日本を含む西欧社会からみると、それは耐え難いほどの人権侵害のはずである。西欧社会から、特に女性からも、これを非難する声はほとんど聞こえてこない。なぜだろうか。
イスラム圏の宗教的伝統という社会的歴史的背景を尊重すべきで、そうした背景をもたない西欧社会がみずからの人権感覚でもって軽々に批判すべきではない、そういうまことに謙虚で、おそらく正しい世界認識のうえにたっているからではないだろうか。
ならば、中国にも、そこで行われているとされる人権侵害について、その政治的社会的歴史的さらには地勢的背景を考えることができるはずで、背景が全く違う西欧的な政治社会思想である人権感覚と対比して批判することにはもっと謙虚であるべきではないのか。
女性の人権が言論表現の権利よりも軽いとはいえまい。
イスラム社会の伝統・考えは尊重すべきだけど、共産主義社会の制度・考え方は間違っているからいいのだ、というのなら、それはまったくのご都合主義というものではあるまいか。(明日につづく 1/2)
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