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「存立危機事態」は厳格・限定的に解釈運用すべし(1)

     老生が参加している地元の平和市民運動グループの勉強会で、議論のたたき台となる報告をする役割をいただいた。以下は、その会に向けて参加者に事前に読んでもらうべく作成した原稿である。全部で6,7編になった。会でも指摘を受け、我ながら未熟だと思う部分も少なくないが、一区切りをつける意味で、このブログにも順次掲載し、ご批判を浴びたいと思う。    2 5/1 1 /7 の岡田質問・高市答弁はいかなる問題を浮き彫りにしたか ( シリーズ1)     昨年11月7日、高市首相は衆議院予算委員会で立憲・岡田議員の質問に答えて、   「(中国が台湾を支配するために)戦艦を使って、そして武力を伴うものであれば、これはど う考えても存立危機になりうるケースであると私は考えます」 ( 発言1 ) と述べた。 集団的自衛権行使を一部容認する安保法制に反対した私たちは、高市発言がいよいよその法律を運用し戦争に参画しようとする意欲を示したものとみて、大いなる危機感を抱いた。(注1)   高市首相は関連して、以下のようにも発言した。 「存立危機事態の認定に際しまして、個別具体的な状況に即して、主に、攻撃国の意思、能力、事態の規模、態様などの要素を総合的に考慮して、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性ですとか、それから国民が被ることになる犠牲の深刻性そして重大性などから判断するということ、判断するべきものだと考えておりますので、政府として持ち得る全ての情報を総合して判断する、これは当然のことだと思っております」 ( 発言2 ) これは、存 立危機事態認定についての従来からの政府の判断方法を述べたもので、 ( 発言1 ) が この判断方法を踏襲するものであって、矛盾するものではないと弁解したのである。 政府は、今後台湾有事が現実化したとき、この判断方法を用いて 易々と 存立危機事態を認定し、自衛隊に出動を命じる(集団的自衛権を行使する、戦争となる)姿勢にあると考えざるを得ない。   この点について同質疑の中で 岡田議員が述べた一連の指摘 は極めて重要であった。 〇 (存立危機の)概念がかなり曖昧であると。例えば、我が国の存立が脅かされる、これはどういう意味だろうか。それから、国民の基本的権利...

憲法改正・自衛隊明記論と「存立危機」認定問題について

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  (何ゆえに高市内閣は憲法改正に執着するのか)      選挙で大勝した高市内閣は改憲に意欲的である。自民党の憲法改正案の目玉は、9条の戦争放棄、戦力不保持の規定をそのままにした上で、「9条の2」を新設し、そこに、 「 前条(9条)の規定は「わが国の平和と独立を守り、国および国民の安全を保つため に必要な自衛の措置をとることを妨げない」 との規定を入れる案が有力である。「 必要な自衛の措置をとる 」の点が味噌である(後述)。    歴代の自民党政権がなぜ悲願とするほど自衛隊明記の改憲に執着するのか。護憲勢力は、彼らが自衛隊を増強しその活動範囲を広げる軍事拡大政策のために必要としているものとみて、その危険性のゆえにこれに強く反対し警戒してきた。  私はさらに、「存立危機」認定をめぐる最近の議論から、自民党の改憲意欲、特に自衛隊明記を強く望んでいる背景が見える気がして、考えさせられている。   (高市首相の「存立危機」認定発言)  昨年11月の国会質疑の中で、高市首相は「台湾有事は存立危機となる可能性がある」旨答弁したが、岡田議員の「存立危機にあたらない」旨の反論を浴び、高市はわが国を戦争に導こうとしているのか、などと大きな論議をよんだ。 集団的自衛権行使のための要件とされた「存立危機」をいかに認定するかは、2015年の安保法制審議以来、あいまいなままにされている。わが政府は、台湾有事の際、米軍の要請があれば自衛隊を参戦出動させたい、あるいは支援出動せざるをえないとは考えているのであろう。ところが、いざとなったとき、出動命令を下すために必要な「存立危機」認定について、国民、野党を納得させる説明ができるか、いまだに自信がもてていないようである。自民党の改憲意欲はこの点と深く関係していると思われるのだ。   (「存立危機」って何?)  少し詳しく説明したい。  憲法9条は戦争を放棄し、戦力は保持しないと定めた。しかし、政府は自衛隊を創設する必要から、   「 憲法13条に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自...

嫌中論、中国脅威論を憂う

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  M さんへ 中国を嫌い、脅威さえ感じる、この大きな世論を私も長く憂いています。 わが家人もその一人で、テレビ報道を前に、ときどき口喧嘩をします。 しかし、考えてみれば、私が中国について知っている情報と、家人が得てきた情報は大きく違うのです。 私は学生時代に現代中国の研究会で、日本の中国侵略の歴史と、共産中国の反植民地、独立の戦いを学びました。一時期、文化大革命には大きな失望を抱きましたが、鄧小平の向かった新たな中国建設には、また希望の光を見てきました。いろいろな矛盾を抱え、「弾圧政策」もあるが、14億の民を統一しつつ豊かな国を目指すためには、必要なこともあるのだろうとみています。 少なくとも、中国はその「独裁政治」をよその国に輸出しようとしているわけではないので、その国内政治を外から批判し(内政干渉をし)、ぎすぎすした関係になることは、決してわが国の平和外交のとるべき策ではないと思います。 残念ながら、わが家人は、近代中国の屈辱の歴史をほとんど知りません。国内が四分五裂し、その間隙を縫って欧米と日本に侵略されてきたこの180年の中国の歴史を知りません。 ギョーザ事件も、尖閣列島問題も、香港問題も、批判することはもちろん簡単ですが、ことを構えて、日中の軍事的対立にまで持ち込むべき問題では決してないのです。話し合いで解決でき、また(おそらく)理解しあえる問題です。 相手のことを知らず情報が乏しい場合、とかく誤解しがちなことは、私たちの日常によくあります。国(民族)と国(民族)との関係においては、誤解にとどまればいいのですが、憎しみに変わりがちです。関東大震災の時、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた!」とのデマは、瞬く間に広がり、朝鮮人に対する憎しみとなり、多くの虐殺事件の悲劇を招きました。この歴史から私たちが学ぶべきことは沢山あります。   各々得てきた情報に差のあることは避けられません。特に日本が中国を侵略した過去のあることを知らない若い人たちに、中国をあたたかく見守りべきだ、といっても無理でしょうね。尖閣列島の歴史を勉強していない者にも、中国を悪く思うなと言っても通じない。 ただ、せめて「戦争までしなければいけない問題なの?」と語りあうことはできるのではないでしょうか。 憲法9条の「戦争放棄」の精神は、たとえ相手が邪悪な国であっても、桃...

(台湾有事) 「たとえアメリカが怒っても、中国と不戦の話し合いを」古賀茂明氏多いに語る

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   終戦記念日がやってきた。日中不戦を願うわがブログでも、何かインパクトのあるものを書きたいと考えていたところ、ユーチューブの UI チャンネルで、古賀茂明氏(元内閣審議官、元経済産業省官僚、政治経済アナリスト)と鳩山由紀夫氏との対談を見つけた(今年7月7日配信)。老生の回りくどい論述に比べて、なんと簡潔、明瞭で分かりやすいお話しであることよ。老生の勉強不足かもしれないが、台湾有事に関してここまで率直に語っている論者をしらない。読者にはぜひユーチューブを見ていただきたい (注1) 。   ここでも、老生が特に感銘を受けた部分の要旨を紹介したい(ほぼ発言どおりだが、読みやすいよう、段落をいれ、中見出しを置き、少し言葉を加えるなどした)。      古賀茂明氏の発言   ( 戦争は絶対しない) (政府は)戦争しないための軍拡です、という理屈をいうわけです。そう言われると、やってほしくないけど、まあ、戦争しないための軍拡ならしかたないか、というふうに国民が納得させられている。  でも、その人たちには、いざというときは、戦争も辞さないという覚悟が心の底にあると思うんです。(政府は)いざとなったら戦争になるかもしれないということを前提にして、だから軍拡なんですと言っている。このことを、我々はよく考えないといけない。   国民の立場からみると、ガザとか、ガザはちょっと特殊かもしないが、ウクライナとか、ああいうのを見てると、とにかく戦争になったら、普通の、一般の人たち、特に子供とか女性とか、弱い人たちが圧倒的にひどい目に合うわけじゃないですか( 鳩山  そうね)。それから考えると、とにかくそれだけは避けてほしい、と思うのが普通の国民のあり方です。  そういう意味では、政治家として私が選びたい人は、何が何でも戦争しないという人( 鳩山  いいですね・・・日本が攻められてもですか?) 攻められても、何があっても戦争しない、まあ、でも、 攻められないようにするというのが一番大事 なことですが( 鳩山  そうですよね)。  (台湾有事でも中国との戦争は避けるべき)  攻められないようにするというは、意外と、そんなに難しくなくて( 鳩山   そう思いますよ、私も)、たとえば台湾有事。台湾と中国との間で何かあったとき、今はと...

憲法9条は「事前協議」「存立危機」のなかに生きている

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                                                                                                                                                                  日本有事を回避するために その1   (憲法9条は死んだか) 憲法9条は今も、平和運動の 有効な手段 となっているのだろうか。 憲法9条が生まれてからも、戦争に反対し平和を求める大きな運動は何度もあった。講和条約をめぐり・・・、自衛隊創設に反対し・・・、安保条約改定に抵抗し・・・、原子力空母の寄港に反対し・・・、集団的自衛権行使容認(安保新法制)を許さない等々・・・。 これらの反戦平和の闘いのとき、私たちが手にした「武器」はつねに憲法9条であった。残念ながら、闘いはいずれも敗れ、平和を危うくする法案・条約が国会で成立・批准され、反戦の世論は抑え込まれてきた。 その都度、憲法9条という平和のための砦は突破され、破損させられ、輝きが損なわれ、ついには「 憲法9条は死んだ 」という学者さえあらわれる現在である。    しかし、憲法9条は死んだのであろうか。 たしかに、政府が真向から憲法9条の破壊を推し進め、次々と戦争準備の法制を整備してきたため、憲...

(台湾有事)主権者たる国民に隠れて「戦争」の準備・開始は許されるか

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  (日本の有事はどうして起こるのか)   中国は、台湾の独立を阻止しようとして 武力行使をするとき、米国や日本と戦争になることは望んでいない。戦争相手を増やすことは、台湾制圧の目的を達することが困難となるからである。  ロシアはウクライナに攻め入ったが、ウクライナの隣国であ るポーランドやルーマニアを攻撃しようとはしていない。それと同じく、台湾有事の際、特段の事情でもないかぎり、中国が日本を攻撃することはありえない。   「台湾有事は日本の有事」といわれるとき、この当たり前の事情が忘れられ、中国と台湾との間での戦闘がはじまれば、当然のように日本にも戦禍が及んでくると語られる。  しかし、台湾有事の際、日本が台湾(これを支援するアメリカ)の側にたって介入しなければ、中国との間で戦争になることはないのだ。私たちは、このことまずしっかりと頭に入れておくべきである。   柳澤協二氏は、国会で参考人として意見陳述した際、このことを明確に述べている。 「 台湾有事がいきなり日本有事になるのかというと、実は、論理的な構造はそうではなくて、台湾有事というのは中国が台湾に武力行使をすることなんですね。そこでアメリカがその防衛に参加すると、今度はそれが中国とアメリカの戦争になってくるわけで、その際に、アメリカ軍は日本の基地、日本を拠点にしないととても戦えないわけですから、日本の基地を使うことも含めて、あるいは自衛隊がサポートすることを含めて、日本がそれに協力するとなった段階で初めて台湾有事が日本の日本有事という形に変わってくる、そういう流れになっていくんですね。」 ( 注1 ) (日本はアメリカに協力すべきでない?) 柳澤氏は以前から、台湾有事に日本が巻き込まれ中国との間で戦争となってはいけないことを強く主張し、何よりも台湾有事が起きないように日本が外交努力をすべきだと主張してきた。その姿勢はわが国の平和を願う人々の熱い支持を得てきた。老生もそのひとりである。 ただ、その柳澤氏が、上記の陳述に続いて以下のように述べているのに、老生は戸惑いをおぼえた。「そこで日本が協力すれば、日本が戦争の当事者になってしまうということ、そして、日本がアメリカ軍に協力しなければ、恐らく日米同盟はもうもたないことになるだろうという、こういう実は究極の選択が迫られる、非常に考えたくもな...

伝統中国には弱者にやさしい裁判があった

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                                                                   (勉強ノート) 現代に生きる中国の伝統思想(5)    (農民らは頻繁に農地取引をした)    清代を中心とする中国近世の農村社会は、父系社会ながら(日本と違って)兄弟間で均分相続がされていた。そのため相続のたびごとに農地は細分され、経済的下降傾向は避けがたかった。農民らは零細化に抗し、家族の生活を維持するため、さまざまな努力で自らの農業経営を向上させようとしていた。      中国伝統社会は一君万民制である。中間領主(日本の藩主など)がいなかった。しかも、皇帝は広大な土地に住む万民の生活の隅々まで目を光らせるだけ十分な数の官僚配下を持っていなかった。そのため、農民は上からの命令束縛を受けることが少なく、納税義務を負う以外に、皇帝による支配を意識することはほとんどなかった。   このように束縛の少ない中で、農民は、自らの農地を売却したり他人の農地を購入することはもちろん、小作契約をむすぶことも、所有地を担保に金を借りることも自由にできた。自らの農地を売って小作人となった後、金をため数年後に小作を解消して農地を買い戻すことも珍しいことではなかった。西洋や日本で農民が農地を取引できようになるはるか以前から、中国農民は、貧困からの脱却、生活維持向上の重要な要とし、農地取引を頻繁に繰り返していたのである。もちろん、農民は農業をやめ他の地で別の家業を始めることも自由であった。皇帝は、天下の土地を誰が耕作しようと、その土地の収穫に見合う税金され徴収されれば、それで文句はない。まことにのどかな支配者の一面もあったのである(中国人は自由がありすぎたとの孫文の言葉を思い出す)。 日本の江戸時代、農民は「 田畑永代売買禁止令」などで農地の売...

「中国はばらばらの砂、自由が多すぎた」 孫文がみた伝統中国の農村

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                                                                ( 勉強ノート) 現代に生きる中国の伝統思想(4) 孫文の「三民主義」を読んで、意外な感とともに強い印象をうけ、考えさせられたのは、「中国には自由が多すぎる」とする一連の論であった。 ◎    中国歴代皇帝は、謀反に対しては一族連座で殺すなど強大な懲罰で対応したが、人民に対してはおおむね寛大な態度をとった ◎    中国人民が皇帝にたいしてもつただ一つの関係は、租税をおさめることであり、それ以外、人民は政府となんの関係も持たなかった ◎    中国人は、なぜばらばらな砂なのか。何によってばらばらな砂にさせられたのか。それは各人に自由が余りにも多すぎたからだ ◎ われわれは自由が多すぎ、団結を欠き、抵抗力がないから、ばらばらな砂になり、ばらばらな砂だから、外国帝国主義の侵略をうけ、こんにち、われわれは抵抗も出来ないのだ。将来、外国の圧迫に抵抗出来るようになるためには、各人の自由を打破し、ちょうどばらばらな砂にセメントをまぜて、堅い一つの石を作りあげるように、強固な団体を作らなければならない  (注1)   魯迅の小説の主人公「阿Q」を思い出す。清朝末期、革命前夜の農村に住むルンペンプロレタリアートの「阿Q」、趙大旦那にいつも叱られ、村人から馬鹿にされ、いじめられながらも、へこたれず、土地神の祠で寝泊まりし、あっちこっちと動き回り、ときに大旦那の家の仕事を手伝ってわずかな金を得、それでまた賭博をしたり、飲み屋に出入りし、毎日を天真爛漫、面白く快活に生きている・・・ 「水滸伝」は長すぎ、老生はいつも2巻目の途中で読みやめてしまうが、中国の農村でたくましく生きる無頼漢たち、これに対処する頼りない王朝官憲・・・、日本の中世にはとうてい見られないような...

米軍と自衛隊の「指揮系統の統合強化」の危険性について

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(以下の拙稿は、老生が参加している市民運動グループ・市民デモHYOGOのMLに投稿したものです。)  先の日米首脳会談では、米軍と自衛隊の指揮系統の統合強化(以下「指揮権統合」という)が話しあわれた。この指揮権統合の動きは、自衛隊が米軍の指揮下におかれて従属的軍隊になってしまうばかりでなく、台湾海峡や南シナ海での緊張がとりざたされるなか、日本が戦争にまきこまれる危険性が一段とたかまる事態と認識すべきだとおもう。 1 他国間戦争への限定的参加から全面的参加へ   2015年の新安保法制と2022年の安保三文書は、憲法9条の「戦争放棄」をないがしろにし、自衛隊の行動限度、専守防衛の制約をこえて集団的自衛権の一部行使を容認した。    今回の指揮権統合の動きは、新安保体制下でなお自衛隊行動をしばっていた限界枠をとっぱらおうとしている。以下の2点に注目せざるをえない。 ①  自衛隊が他国間の戦争に加担するには、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより 我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある 事態」という厳格な要件が必要とされている( 存立危機 要件、自衛隊法76条1項二号)。新安保立法の際、自衛隊を憲法9条の制約内(自衛のためにある)にとどめるために設けられたものである。    しかしながら、米軍主導のもとで指揮権統合がなされると、米軍が必要とする作戦行動を自衛隊に補完させようとすることは確実だ(米軍は前々から自衛隊に肩代わりを求め続けてきた)。日本側の「存立危機」という参加要件の有無を検討するとは考えにくい。内閣総理大臣は「存立危機」の要件判断をないがしろにして、米軍に求められるまま自衛隊の出動を命令することになろう。いやむしろ、指揮権統合は日米間で「自衛隊の当然参加」密約を前提とするものと考えるべきか。 ②  昨年の安保三文書において、内閣は反撃能力を「 必要最小限度 」にとどめることを明記した。国会答弁でも、自衛隊の武力行使には「必要最小限度」の限界のあることをくり返し説明した。「戦争を放棄した」憲法9条との整合のためである。自衛隊は自衛隊法76条1項二号の出動時においてもこの限度内の行動にとどまらなければ...