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台湾有事を日本の有事にしてはいけない

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  先日、神戸の市民運動グループ「市民デモ兵庫」の学習会でお話しさせていただく機会を得ました。沖縄問題シリーズの一コマでしたが、私は「台湾有事」問題をとりあげ、日本とのかかわり、琉球弧における基地建設、日米軍事共同訓練、新安保法の集団的自衛権行使の危険性などにつき、少しばかり勉強し考えたところをお話しし、オンラインを含め40数名の参加者に聞いていただきました。粗削りな内容でいささか消化不良の感もありますが、市民運動における今後の議論のたたき台の一つくらいの意味で読んでいただき、ご批判くだされば幸いです 。   1 はじめに  みなさんは台湾有事という言葉を聞かれたことがあると思います。中国と台湾との間で武力が衝突し軍事的紛争がはじまる事態を指しています。そして、この衝突は中国が武力で台湾の独立を阻止しようとする意図から生まれるとするのが一般的です。   みなさんはまた「台湾有事は日本の有事」という言葉も聞かれたことがあるのではないでしょうか。中国と台湾との武力衝突が日本に影響を及ぼし日本も軍事的に対応しなければならなくなる危険な事態を指しているようです。    ところが、台湾有事がなぜに日本の有事となるのか、どういう経過でそうなるのかについては、必ずしも明確ではありません。  安倍元首相は、昨年12月に台湾に向けオンラインで講演し「尖閣諸島や与那国島は、台湾から離れていない。台湾への武力侵攻は日本に対する重大な危険を引き起こす。台湾有事は日本の有事であり、日米同盟の有事である。この点の認識を中国の習近平主席は断じて見誤るべきではない」と勇ましい演説をしたそうです。  沖縄の南西諸島が台湾と地理的に接着しているから有事になるかのようです。これは分けのわからない話です。地理的に近い位置にあるからという、それだけの理由で中国が攻撃してくるとは思えません。攻撃すれば日本から反撃されます。台湾との戦闘に精一杯なのに日本までも敵に回すことは中国にとって得なことではありません。 ただ、日本が台湾を支援しようとして中国攻撃の準備をしているというのなら、たしかに中国はそれを阻止しようとして、たとえば自衛隊基地のある南西諸島に先制攻撃してくることはあり得ます。   そうです。台湾有事が日本の有事というのは、台湾にことが起こ...

日中関係改善の外交を

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  老人が所属する地元の9条の会のホームページ3月号に、以下のエッセイを投稿しました。       日中関係改善の外交を ― わが国が平和国家であり続けるために       伊東武是 (美賀多台)    今日の日中関係はいびつにすぎ、不正常ではないだろうか 。  中国の内外諸政策を批判するのはいい。中国の軍事的増強に対し「防衛」措置が必要だ、との議論もあっておかしくない。  ただ、日本はそうした批判的、対抗的措置ばかりに一生懸命であり、中国との関係を 平和的に安定させる外交 が置きざりにされているのではなかろうか。    他の国とのつきあいでは、たしかにいつも蜜月円満というわけにはいかない。ときに波風がたち暴風となるときもある。  しかし、外交の常識では、他国との間に不穏な空気が漂いはじめたとき、すぐに、それ戦争だ、その準備だ、というのは拙劣きわまりない。あの太平洋戦争のときでさえも、回避に向けて長い間、開戦直前まで外交努力がなされた。    日中間においてはどうなっているのであろうか。実務的にはそれなりの安定努力がなされているのかもしれない。尖閣列島でも、海上警察レベルでは互角の力で監視し合って互いに相手を係争領域に立ち入らせないように安定的な均衡が維持されているようである(雑誌「世界」21年9月号158頁)。暗黙の了解というべきものかもしれない。  しかしながら、国と国との基本的あり方を左右する首脳級の交渉・交流はここ数年、滞ったままである。停滞の原因はわが国の外交姿勢にあるのではないか。  一昨年に予定されていた習近平主席の来日は、コロナの影響という名目で先延ばしになったままである。その後は、中国側からの外相級会談の申込みに、わが国が応じていない。 政権与党のなかに強力な交渉拒否圧力 があるようである。  もちろん一度や二度の交渉で懸案事項が解決できるわけではない。一気に仲よくなれるわけはない。それでもまず交渉を開始し辛抱強くこれを重ねることこそ外交のイロハなのだ。    政権与党の交渉拒否姿勢はなぜであろうか。  日本の軍事増強戦略(9条改悪を含め)のために、東アジアとくに中国や北朝鮮との間に、軍事紛争まで発...

新疆ウイグル地区における民族独立運動と中国政府の対応

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    王柯(おうか)教授は、新疆ウイグル地区における民族独立運動の研究者である。同教授が1993年に出版した「東トルキスタン共和国研究(中国のイスラムと民族問題)」(東京大学出版会)は、清朝時代から連綿と続く民族独立運動(東トルキスタン独立運動)とこれに対する清朝政府と国民党政府の対応についての詳細な研究成果である。 2005年に出版された同教授の 「多民族国家 中国」(岩波新書) は、主に中華人民共和国成立後の新疆ウイグル地区での民族独立運動と政府の対応が紹介されている。日本のマスコミからは知らされることの少ない情報だと思われるので、この本に書かれていることを要約的に紹介したい( 赤字 の表題は老人が任意につけたもの)。 東トルキスタン民族独立運動の活発化 中国政府は 、 1980年代から宗教政策を是正する策をとったが、「世界的なイスラーム復興ブーム」のなか、こうした政策は「皮肉にも独立運動の人材を育成する下地を提供する結果になった」。80年代以降ウイグル族地域において民族暴動が頻発した。「その背後にはイスラームの陰があり、ジハードがスローガンとして掲げられた」。ウイグル社会におけるイスラームは、歴史的に政治となかなか切り離せず、「中国の歴代王朝や政府と対立する立場をとり、中国からの分離独立を目指すさまざまな運動において大きな役割を荷ってきた」。(202頁)  1990年代、「同じトルコ系イスラーム民族である中央アジア諸国」がソ連解体により独立し、「親イスラーム政策をとり始めた」ことによって、ウイグル族の独立派勢力は「刺激されただけでなく」「後方支援の基地を得た」。「ウイグル族の独立派勢力は、中央アジア諸国でイスラーム原理主義組織やテロ組織と連携し、それを経由してアフガンを基地としているアルカイダで軍事訓練を受け、最後には中央アジア地域の内戦、アフガン戦争やチェチェン紛争に参加した」。(202頁) 中国政府は「少数民族地域の中でもチベットと新疆に最も多くの経済的支援を行ってきた」。「経済状況と生活水準の向上は、現地の一般のウイグル族住民に対する国民統合の有効な手段であるが、しかし、民族独立の達成しか考えない東トルキスタン独立勢力にとっては、いささかの効果ももたないようだ」。(208頁) 中国政府の東トルキスタン民族独立運動に対す...

何かが大きく狂いはじめた! 中国念頭の衆院人権決議

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たいへん大きな影響をもつ決議が昨日衆議院でなされた。それも野党を含めた圧倒的多数のもとに。 中国におけるウイグル人問題に対する非難を念頭においた人権決議。 大げさな言葉でこの決議の非をなじりたいが、正直言ってこわい! 大政翼賛会的ムードがただよいかけている。周りのみんながこの老人を攻撃してくるのではあるまいか。        1  まずは、決議内容の正当性の問題 ウイグル人権問題が国会決議に値するほど国際的に非難されるべき非違行為なのか。十分に証明されているのか。井戸端会議での悪口とはちがうのだ。 中国政府のウイグル問題に対する弁明(イスラム原理主義テロ勢力との闘いなど)は考慮に値しないものなのか 2 次に対中国外交に支障をきたさないか、その点を考えたのか 公明党幹部によると、中国という名前、「人権侵害」や「非難決議」の文言を省いたのは、「中国と外交問題になってはいけない」との配慮からだそうだが、ウイグルなどの地名をあげて深刻な人権状況の懸念を指摘している以上、子供だましのような話ではないか。 現に中国側はさっそく、外務省談話として日本に厳正に抗議し、報復措置の検討にも言及したという。そうなるのは当然だ。ボケかけた頭の隠居老人でさえも十分に予想のつく事態である。 衆議院が外交問題にならないと考えていたとすれば、国家の命運を握る機関として、何と浅薄で情けない判断であろうか。(むしろ多数派は、喧嘩になることが分かってやろうとしたのであろう)。    岸田内閣は、中国とのあいだに「建設的かつ安定的な関係の構築を目指す」と所信表明をしたばかりである。衆議院が挙げてこの方針を妨害しようとしていることにほかならない。(岸田首相が「主張すべきことは主張する」と述べたのは今回の決議のような形ではなく、政府間の対話の中で中国のためをも思う友人として、苦言を述べ改善を促す方法であったはずである。それでなければ両国の建設的安定的関係など築けない)。     3 さらに、一番こわいのは  決議がれいわ新選組と一部議員をのぞき野党を含めた圧倒的多数でなされた点である。  中国を非難する空気は、国会をも支配し尽そうとしている。波風の立つまもなく。 安全保障にかかわりかねない外交問題だけに、さまざまな意見が交錯し慎重かつ冷静な審議が...

「敵基地攻撃」審議の前に「日中対話」を

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  「 中国には、主張すべきは主張し、責任ある行動を強く求めます。同時に、諸懸案を含めて、対話をしっかりと重ね、共通の課題については協力し、本年が日中国交正常化五十周年であることも念頭に、 建設的かつ安定的な関係の構築を目指します 」。 と 岸田首相は、年明けの通常国会冒頭で所信表明をした。  大変結構なことだと思う。ぜひとも早く実行していただきたい、隠居老人は心から願う。    国会の中には、自民党右派を中心に、中国と「この時期での対話・協議」に反対ないし消極的な意見があると聞く。安倍前首相も岸田内閣にプレッシャーをかけているとか。昨秋には、中国外相の林外相への対話申し出に対して、自民党の防衛族議員らが「応ずるべきでない」と声を上げていた( ここ )。 衝突への危険を減らし関係の改善をするには、両国間の対話・協議が必要なことは誰が考えてもわかる。それなのにどうして反対するのか。 日中間の懸案事項としては「中国脅威論」「中国の覇権主義」と関連する領土問題、台湾問題、人権問題などがある。 中国と対決姿勢を強める日本の右派勢力も、上記の懸案事項について中国に抗議する(「主張すべきことは主張する」)こと自体はおそらく反対しないと思われる。だが、双方の主張をかみ合わせることは、誤解が解けたり、解決の道筋を見出したり、さらには話し合い継続を確認するなどして、緊張緩和ムードとつながる可能性が高い。 自民党右派は、そのこと自体を、現時点において好ましいとは考えていないのであろう。 「敵基地攻撃」 問題審議を今国会の最重要課題のひとつと考える勢力にとっては、 日中の緊張関係の存在はそのための大切な舞台装置 なのである。 老人らしいくどい説明をゆるしてほしい。 安倍政権が推し進めた安全保障政策は、わが国をとりまく環境が変わったこと、すなわち北朝鮮や中国の「挑発的、覇権主義的行動」に対処するため、日米同盟を強化し、わが国自身の防衛力を高めなくてはならない。というのであった。その最大かつ典型的なものが「敵基地攻撃能力」の構築なのである。 自民党タカ派勢力は、この国会で「敵基地攻撃能力」構築の審議をぜひとも成功させたいと考えている。その大事なときに、前提となる「中国脅威論」「中国の覇権主義姿勢」がゆるみかねない緊張緩和ムード、中国の「平和共存姿勢」「...

相手を知り己れを知れば平和危うからず

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    正月のテレビで「山本五十六」をやっていた。香取慎吾が恰好いい。老人は、阿川弘之の小説で山本のことを知り、すごい人物だとおもっていた。  山本は、アメリカとの戦争について、 かの国の国力が日本とけた違い であることを知って「戦えば日本は必ず負ける」との考えをもっていた、海軍省次官のときは、米内光政海軍大臣や後輩の井上成美とともに海軍三羽烏として、陸軍を中心とする開戦論者と非戦論を闘わせていた、そのために山本は好戦論者から命を狙われ、海軍は山本の身を守るため連合艦隊司令長官に転勤させた、そんな逸話であった。      山本の非戦論は、彼我の力関係を冷静に評価して戦うべきかどうかを軍人らしく判断するもので、今にして思えば特段に優れたものとまではいえないかもしれない。しかし、当時の支配層は、まことに情けないことに、孫子の兵法「敵を知り己れを知れば百戦危うからず」の応用判断能力を欠き、敵の実力を知らないままに無謀な戦争に突入したのである。    「敵を知る」ことは大事だが、さらに「己れを知る」ことも大切だとおもう。アメリカとの戦争の最大原因は、中国の東北部・満洲をめぐる「攻防」であった。当時、日本は満州を国家安寧の生命線とみてその確保と拡大に命運をかけていた。他方アメリカは、蒋介石政府の要請を受け、また自らの利権確保の企みもあって、日本に対して満洲からの全面的ないし部分的撤退を求めていた。日米交渉はこの点を中心に行われたが、日本はアメリカの要求を容れず、交渉を決裂させて真珠湾攻撃の道を選んだ。    日本は、満州の確保と拡大をめぐる「己れ」の利益追求の「非」を知るべきであった。アメリカとの関係ではたしかに帝国主義的利権をめぐる対立であったかもしれないが、 中国との間では「侵略」であった ことは間違いない。その「非」を自覚できていれば満洲から退く選択があったはずである。    当時の天皇制政府の責任はいうまでもないが、国民の側もマスコミを中心として満洲確保が国土の狭く資源の乏しいわが民族の生きる道であることを信じて疑わなかった。マスコミはじめ国民は、先人が血を流して確保した満州を死守すべきだとし、そこからの撤退を求めるアメリカを憎み、その要求を拒絶した政府を熱く支...

ある中国人学者の描く中国の将来(3)

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ただ、中国の経済的繁栄がつづくとすれば、将来、若い世代に民主化の求め(「自由」への希求)が生まれるのは、朱建榮氏が展望するように、自然の流れといえそうである。 人は「食べる」ことが充足されこれに飽きるまでになれば、次にはさまざまな「精神の満足」を求めることになる。 「自由」を求める人々は当然ながら画一的統制をきらう。一つの価値観に統一されることをきらう。ひいては強力な一党独裁政治に変化を求めることとなろう。 中国は政治的分岐点に立たされることになる。 人々の求めるものが「強力な統制」と矛盾することに国家指導部も改めて気がつくに違いない。 ただ、自由はともすれば「放らつ」にながされがちである。 経済的、階級的、地域的、文化的、宗教的さまざまな違いを持つ巨大な国に住む人々が、それぞれに自由を求めるとき、 国家の統一維持は困難となり、再び国家分裂の危険性を伴う。かつてのように、衰弱するシシに周辺のどうもうなハイエナたちが狙いを定めることにもなりかねない。自由を求めた「中東の春」が国々にもたらした混乱はいまだおさまっていないのである。 「統制」国家から「自由」国家にどうソフトランディングさせるか、やさしい課題ではない。      西欧的民主主義の基礎には、多数決原理、ボトムアップ原理(民意尊重)、国民の一体性原理(民族融和、人間の平等)などの 基盤思想 があると思う。いずれも「言うは易し生むは難し」である。先進国においては内乱を含む苦難苦闘の長いときを経て定着させていったものであり(トランプ現象をみるとアメリカでさえまだ危うい)、現在後進国がクーデターや内戦によって民主主義定着が一進一退を繰り返している感のあるのも、その獲得に苦戦しているせいであると思われる。   基盤思想の定着は各国にとって歴史的課題であって、即席で獲得できる性質のものではない。中国においては、巨大な人口をもち、多民族国家であるだけに、「民主主義」構築の基盤思想を獲得するのはなおさら、並みの苦労ではないと思われる。ある意味では、世界史上初の挑戦ということになるかもしれない。 長い歴史をもつ偉大な中国人民は、この課題を乗り切るにちがいない。   仮説というより妄想かもしれない。 しかし、この夢のような話は、朱建榮氏などの中国の良心的かつ...

ある中国人学者の描く中国の将来(2)

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   中国三千年の歴史は、統一と分裂、被侵略と反撃の繰り返しであった。とくに近代200年は、西欧からの侵略にはじまり、その反撃のなかで内戦が頻発し、その内戦を利用するさらなる西欧・日本の侵食・侵略・・・中国は半死半生までに衰退させられた。  ようやく中国共産党という強力な指導力が誕生し、後半の100年をかけて苦難に満ちた革命をついに成功させ、その独立と統一と平和と繁栄を回復させた。気がついてみれば、14億の民を抱え巨大な領土を擁する新しき超大国が誕生し、これまでの王者の西欧世界と対峙するまでに至っているのだ。 そして、大きすぎる国の新たな苦難と挑戦が始まっているのである。    中国は、「改革開放」により西欧で成功した資本主義を取り入れたにもかかわらず、統治形態としては議会制民主主義をこばみ、共産党独裁を堅持する。ひとえに中国の統一を維持するためだと隠居老人は思う。  広大な領土と巨大な人口は、ここに複数の政治意見が競い合うシステムを一気に導入すれば、経済的、階級的、地域的、文化的、宗教的さまざまな違いから、人の分派、国土の分割を招き、そこに外国からの干渉も加わって、中国の一体性を維持することすなわち統一を保つことは困難となることはまちがいない。分裂の道に逆戻りである。 中国指導部は、だからこそ、共産党による独裁体制による強力な統制力でもって統一を維持しようとする。その巨大な領土と人口は、西欧の歴史とは違った道を歩まざるを得ない、とするのである。 中国人民は、資本主義経済により生活が豊かになったのであるから、もっと「幸せ」になるためにさらなる「自由」を求めるのが人の常だと思われる。にもかかわらず、人々は多少の「不自由」はあっても、現在の共産党による国家指導体制に満足している(不満をもつ少数はどこの世界にもいる)。 貧困から解放されようとする現在は、強力な共産党指導部による巨大な統一国家運営のおかげである、その「功績」による幸せを今かみしめているのであろう。少なくとも、体制変革を求める目立つ動きはない。 共産党指導部はそのような国民の支持のもとで、現在のところは自信をもって国家運営にあたっているのだ。(明日に つづく   2/3 )   (1)に もどる

ある中国人学者の描く中国の将来(1)

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  年末年頭にあたり、希望のもてる話題を書きたい。   朱建榮氏は日本の大学で政治学などの教鞭をとっている中国人学者である。在日歴は長く、日本人研究者らとの共同研究もあって、その率直な評論に注目する人は少なくない。その朱建榮氏が編者として今年8月に出版した本の中に、次の一文を見つけた。   「 今後の10年、20年以内に、中間層が全人口の過半数を占め、「権利意識」が大半の中国人の「普遍的価値観」になった時点で、 中国の民衆は、若者を先導に、必ず民主化 ( もちろん欧米型体制と一致するとは限らない)を目指していくであろう。 それが現体制とバッティングした場合、とういう結果が予想されるか。正直言って、変数と可能性があまりにも多い。しかし一つ言えるのは、中国共産党指導部もオピニオンリーダーも民衆も、正面衝突で国が分裂し、内戦に陥るようなハードランディングの道は絶対に避けたいことだ。すなわち、対立各方面の妥協、歩み寄りがもっとも可能性がある。これは、 現政権がこれまでの路線を大幅に修正する ことも意味する。」(「加速する中国 岐路に立つ日本」(花伝社)227p、赤字は老人)   この意見は、対決派と共存派、中国観を大きく違える日本人のどちらからみても、意外であって驚くに値するものであるまいか。 ①    民主化への歩みが必然であるかのようにみる点、  ②    民主化をめぐり内戦の可能性まであるとする点、  ③    共産党政権がこの民主化の要求に妥協する可能性が強いとする点などで  。  このような意見は、「統制強化」を進めているかにみえる現在の中国首脳部にはどのように映るであろうか。歓迎していないかもしれない。朱建榮氏の立場を危うくするのではないか、との危惧する向きもあるかもしれない・・・。   その点はともかくとして、隠居老人は、朱建榮氏の将来の展望に「そうあってほしい」と願う一人である。ただ、さまざまな困難な課題がありそうである。   そのあたりを隠居老人の「明るい中国未来仮説」として考えてみたい。(明日に つづく   1/3 )  

「ウイグル問題」に思う(2)

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「思想改造」について   中国の「人権問題」報道に接して、いつも念頭に浮かぶもう一つは、「思想改造」という言葉である。「中国」では「思想改造」(思想教育というべきか)なら今でも行われている可能性がある。   ハリウッド映画の「ラストエンペラー」を観た人は多いと思う。坂本龍一が音楽を担当し自ら満州国を牛耳った甘粕大尉を演じた、あの清朝最後の皇帝 「溥儀」 (日本の傀儡国家「満州国」の初代皇帝でもある)の波瀾万丈の人生を描いた傑作である。私はDVDも入れて3、4回は観た。   中国共産党が内戦で蒋介石の国民党に勝って中華人民共和国の建国宣言をした1949年ころ、元満州国皇帝「溥儀」が何人かの配下と共に人民解放軍につかまり収容所に入れられる。皇帝時代の支配者思想と日本帝国主義に協力した売国思想を厳しく徹底的に自己批判させられる、そうした収容生活が描かれる。取調べ室で「溥儀」に対して一方的に怒鳴りまくる係官と穏やかに見守る収容所長との対比が面白かった。何年かの後に「溥儀」は自己批判を完遂し「思想改造」が終了したとして無事に収容所を出ることになる。「溥儀」が収容者全員の前で出所を告げられる場面ではあの収容所長の温かい励ましのまなざしもあった。そして植木職人として第二の「穏やかな」人生を歩み出した「溥儀」がある日、それは文化大革命の最中であったが、街角で紅衛兵の一団に出会う。そこになんとあのやさしかった収容所長が赤い三角帽子をかぶせられ引き回されているではないか。「溥儀」は思わず所長のところに駆け寄ろうとする・・・。   中国ではその建国以来、いわゆる政治犯に対しては、その矯正教育として「思想改造」が行われてきた。いわゆる批判と自己批判を通じて、「誤った思想」を「正しい思想」に変えようとする人間教育である。   岩波書店から「解放の囚人」という名の新書もでた。そこには新中国で、古き封建的思想、支配者思想のまま捕まった政治犯が、刑務所で批判と自己批判の厳しい受刑生活を送り、「まっとうな人民」に「成長する」過程が感動的に書かれてあったような気がする(なにせ古い記憶!)。左翼だけでなく、軍国主義日本の非人間性に絶望の思いを抱いていた知識人層の一部に好意的に読まれていたように思う。   しかし、その後の文...