「存立危機事態」は厳格かつ限定的に解釈運用すべし(シリーズ5)
国会内外の議論を通して政府の集団的自衛権行使を牽制しよう!
(厳格・限定的解釈運用論で政府を牽制、追及)
安保法制成立後、特に2021年安倍元首相の「台湾有事は日本有事」発言があってから、わが国の「防衛」政策は集団的自衛権行使を念頭においた軍備増強へと質的な転換を遂げてきた。憲法9条を守り戦争に反対する勢力は守勢に立たされ、政府の戦争政策に対抗し押しとどめる有効な闘いが構築できているとは思えない。
軍備の増強が進む中、自信を持った政府は、高市首相の発言にみられるように、集団的自衛権の発動意欲を隠さず堂々と口にするまでになっている。反戦平和勢力は、こうした政府の戦争政策を牽制し押しとどめなければならない。
この一連のシリーズで、自衛隊法76条1項二号の存立危機(集団的自衛権)について厳格かつ限定的な解釈運用を考察してきた。この解釈は、憲法9条の制約を無視して集団的自衛権行使を広く容認する恣意的・政治的解釈と対立するものである。法律自体を憲法違反とはしないものの、政府が認定しようとする「存立危機事態」を厳格かつ限定的な解釈で否定し、自衛隊を出動させなくするもので、護憲平和の闘いに極めて大きな法的武器となる。
(政府追及をしなかった理由)
平和護憲勢力は昨年まで、集団的自衛権行使に前のめりになる政府に、この厳格かつ限定的解釈をぶつけて牽制する方策をほとんどとってこなかった。三つの大きな理由があったのではないかと推察する。
一つ目は、全国的に安保法制違憲訴訟が展開されており、その原告団を支援する活動に重きを置いていて、その成果に期待しており、そもそも違憲であるものを合憲を前提に追及すことは理屈に合わず、弱気であり、節を曲げることでもある。(理由1)
二つ目に、76条1項二号の「存立危機事態」条項につき、誤解のもとに生まれた「政治的解釈」に惑わされた。この点は、シリーズ4で詳しくみたとおりである。(理由2)
三つ目に、国会で厳格・限定的解釈を用いて政府を追及しても、政府がさまざまな理由を挙げて、答弁を拒みごまかすばかりで成果があがらない。(理由3)
(朝日新聞の特集、岡田議員の国会質疑)
昨年9月19日に朝日新聞が「安保法制成立10周年」と題する特集を組み、長谷部教授との対談に大きな紙面を割き、社説で「恣意的運用 厳格な歯止めから」との表題のもと「直ちに廃止は現実的でないというのなら、まず政府の裁量に強いタガをはめる是正措置を急ぐべきだ」と論じた。仙台高裁判決と長谷部教授の「存立危機事態」認定についての問題提起を受けて、ジャーナリズムの良心として厳格かつ限定的解釈運用論を格調高く掲げたものであった。(注1)
その後、11月7日の立憲・岡田議員の高市総理に対する質問は、朝日新聞のこの姿勢にも鼓舞され、国会の場で厳格かつ限定的解釈運用を主張、論議する第一歩であった。岡田議員は、その後の12月5日、国会を通じて高市総理に質問主意書を提出し、その中で「(存立危機事態については)今後、具体的ケースに即して国会における議論がなされないとすれば、憲法や法律に反する運用がなされる可能性のチェックを国会が放棄することになりかねない」と追及を継続する姿勢を示していた。その後の選挙の敗北により後続はとだえたままではあるが。(注2)(注3)
(国政調査権を活用して政府を牽制)
国会で成立した法律は政府によって運用(執行)される。裁判所でその法律が憲法違反とされない限り(三権分立、違憲立法審査権)、政府がその法律を運用するのを阻止することはできない。
ただし、政府がその法律を違法(恣意的も含めて)に運用するときは、国会はこれを制止し、正しく運用するよう導くことができる。憲法62条の「議院の国政調査権」に基づく監視監督活動である(普段は予算委員会の中でも行われている)。
政府が自衛隊法76条1項二号の「存立危機事態」を認定して自衛隊の防衛出動を発しようとするとき(そのような出動計画があるとき)、その「存立危機事態」の認定が誤っていて違法が疑われるものであれば、野党は国政調査権に基づいて、政府にその違法を指摘し、これを糺すことができるのである。
戦争をするかどうかという事態は、ことに憲法9条を持つ国家にとって、これ以上の大事はない。これが違法に行われないよう事前に牽制し予防することも、国政調査権の重要な役割である。ことに立法過程でどういう事態をめぐり大議論があった「存立危機事態」については、政府がどのような解釈のもと具体的にどう正しく運用するか、国会は国政調査権に基づいて監視監督牽制する義務があるというべきである。
もちろん、政府との間で違法かどうか論戦になることはあり得るが、ここでの議論が政府に対し大きな牽制となることは間違いない。野党と政府との論戦が国民に報道される中で世論が喚起され、野党を支援する声が大きくなれば、国会で多数を握っている政府といえども、「存立危機事態」認定に基づく出動計画を断念せざるを得なくなることも多いにありうる。
(国会での審議に政府は誠実に応対しなければならない)
野党が国政調査権をもとに「存立危機事態」の厳格解釈運用を議論しようとしたとき、政府は、さまざまな口実で、まともな答弁を拒むことが予想される。
憲法9条との関係で76条1項二号は、抽象的、曖昧な条文であるだけに、具体的事例をもとに解釈運用が問われると、その欠陥があらわになり、破綻をきたしかねない。抽象性と曖昧性をそのままにして政府の裁量に任せる形にしておくことが、この法律の唯一の生き残り策であった。
自民党タカ派が主導する政府は、いざ集団的自衛権行使のときと決断するや、一気に「存立危機事態」を認定して自衛隊に出動命令を出す、野党・国民は政府の決断の不当違法を言わない・言えない、短期間のうちに国会の承認を勝ち取ることができる、そのように考えているにちがいない。
中国とかアメリカなど国名をあげて議論するのは外交上問題だというのなら、A国、B国、わが国と設定したうえで、机上のケースとして上記の諸疑問が議論できないはずはない。相手国にこちらの手の内を知られては防衛戦略上差支えが生じるので答弁を控える、といったような態度は、戦国時代の戦争思想というほかはなく、自衛隊出動に国会承認を必要としている民主主義国家のとるべき態度ではない。そもそも、自衛をもっぱらとするわが国の武力行使について相手国に知られては困る基本的防衛戦略などあるはずはない(個々の戦闘における戦術場面は別として)。こんな態度に国民は決して騙されてはならない。
平和勢力が少数野党となった現在、国会で安全保障政策の議論を戦わすことに困難があるであろう。しかし、この問題は国会での議論がなくしては、国民に問題点が伝わらないのだ。ここは何としても、野党にがんばってもらわなければならない。
市民運動は、国会での論戦にエールを送り、これをしっかりと見守らなければならない。良心的ジャーナリズムはこの論戦をしっかりと報道してくれるであろう。法曹界その他の分野での厳格運用論を支持する広がりにも期待を持ちたい。
以上、上記の(理由3)は通らない。
(違憲主張と国会審議)
自衛隊法76条1項二号の集団的自衛権行使容認の規定は「憲法違反だ」との主張がある。長谷部教授もその見解であり、私も違憲論はまったく正しいと思う。
自衛隊法76条1項二号の集団的自衛権行使容認の規定は「憲法違反だ」との主張がある。長谷部教授もその見解であり、私も違憲論はまったく正しいと思う。
問題は、安保法制違憲訴訟はそのほとんどが原告敗訴のまま終結している。そうした状況下で政府は、この法律を運用して(運用を念頭に)戦争準備を着々と推進している点である。
違憲主張を撤回する必要はない。必要かつ有効な場面でその主張を続けることは全く問題ない。ただ、国会で国政調査権を利用して政府の諸政策に抵抗し牽制するためには、憲法違反の主張では議論とならないのである。
政府は「違憲かどうかは裁判所が判断することで、政府の任務は国会で成立した法律に従って粛々と執行運用することであって、違憲との主張には答える義務はない」と言われれば、それまでなのである。
私たちは、政府がある状況・場面で集団的自衛権を行使しようとするとき、その制止や転換を求めるなら、「この場面でそのような措置は法律に反するではないか」と追及することで(岡田議員の表現では「憲法や法律に反する運用がなされる可能性をチェックする」ことで)、政府に方針転換を迫らなければならない。抽象的な憲法違反をいうのではなく、具体的場面での法律の執行が適法かどうかの議論が必要なのである。それに対する政府が合法性を説明できず誠実でないとき、戦争を厭う国民の怒りが沸き上がるのではないだろうか。
(注1)
社説は、https://digital.asahi.com/articles/DA3S16305166.html に
(注2)
この質問主意書に対する高市総理の回答は、「お尋ねの趣旨が明らかではないためお答えすることは困難である」との一片の不誠実なものであった。「存立危機事態」解釈問題について政府のごまかし姿勢を露骨に示したものともいうべきであろう。https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/219113.htm
(注3)
岡田議員の11月7日の国会質疑の前、10月25日に同じ立憲民主党の枝野議員(当時、予算委員会委員長)が、さいたま市内で「存立危機事態」に関する講演をしたことが報道された。講演の詳しい内容は分からないが、仙台高裁の趣旨を受け止め、拡大解釈に反対し厳格・限定的解釈を求めていく岡田議員と同じ姿勢を述べたものと思われる。当時、立憲民主党内で、「厳格・限定的解釈」をめぐる党内論議がなされていたことがうかがえる。https://digital.asahi.com/articles/ASTBT31HVTBTUTFK005M.html。

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