日中関係改善の外交を

  老人が所属する地元の9条の会のホームページ3月号に、以下のエッセイを投稿しました。

     日中関係改善の外交をわが国が平和国家であり続けるために

      伊東武是 (美賀多台)

  今日の日中関係はいびつにすぎ、不正常ではないだろうか
 中国の内外諸政策を批判するのはいい。中国の軍事的増強に対し「防衛」措置が必要だ、との議論もあっておかしくない。
 ただ、日本はそうした批判的、対抗的措置ばかりに一生懸命であり、中国との関係を平和的に安定させる外交が置きざりにされているのではなかろうか。

  他の国とのつきあいでは、たしかにいつも蜜月円満というわけにはいかない。ときに波風がたち暴風となるときもある。
 しかし、外交の常識では、他国との間に不穏な空気が漂いはじめたとき、すぐに、それ戦争だ、その準備だ、というのは拙劣きわまりない。あの太平洋戦争のときでさえも、回避に向けて長い間、開戦直前まで外交努力がなされた。

  日中間においてはどうなっているのであろうか。実務的にはそれなりの安定努力がなされているのかもしれない。尖閣列島でも、海上警察レベルでは互角の力で監視し合って互いに相手を係争領域に立ち入らせないように安定的な均衡が維持されているようである(雑誌「世界」21年9月号158頁)。暗黙の了解というべきものかもしれない。

 しかしながら、国と国との基本的あり方を左右する首脳級の交渉・交流はここ数年、滞ったままである。停滞の原因はわが国の外交姿勢にあるのではないか。
 一昨年に予定されていた習近平主席の来日は、コロナの影響という名目で先延ばしになったままである。その後は、中国側からの外相級会談の申込みに、わが国が応じていない。政権与党のなかに強力な交渉拒否圧力があるようである。
 もちろん一度や二度の交渉で懸案事項が解決できるわけではない。一気に仲よくなれるわけはない。それでもまず交渉を開始し辛抱強くこれを重ねることこそ外交のイロハなのだ。

  政権与党の交渉拒否姿勢はなぜであろうか。
 日本の軍事増強戦略(9条改悪を含め)のために、東アジアとくに中国や北朝鮮との間に、軍事紛争まで発展しかねない緊張状態が必要と考えているのではあるまいか。
  いつの時代もどこの地域でも、軍事力の増強は国家間に緊張状態があるときに可能となる。平和なときは軍縮に動く。そうした「パワー政治の常識」が今の日本でおきているのである。

今年は、敵基地攻撃能力の保持、さらには憲法9条改悪の議論が正念場ともいわれる。平和を望む私たちはこれに立ち向かおうとしている。敵基地攻撃は「専守防衛に反する」「憲法9条に反する」との法律論を武器にたたかうのはもちろん大切だ。
しかし、それとともに政府に対し、東アジア特に中国との間で、今ある緊張状態をときほぐす話し合い・対話をすすめよ、との要求を突きつけることも大事ではないだろうか。幸い岸田内閣は、中国との「建設的かつ安定的」関係を目指すと所信表明をしている。
こうした外交の開始は、まずは両国民間のとげとげしい感情をほぐし、平穏・平和への希望をふくらませ、さらに政府にますます関係改善努力を促すことになり、ひいては軍備増強の必要性を減少させることになる。 

  安全保障とは「抑止力」の構築に突っ走ることではない。まずは外交努力に最大限の努力をすることである。それが憲法9条の精神というものである。

コメント


  1. はじめまして
    今朝偶然貴ブログを発見して、うれしくなってコメント投稿をさせてもらいました。
    私も戦中生まれで、元サラリーマン、現在年金生活の者です。
    私は鶴見俊輔氏などが、悔恨世代を称して、この次に戦争になりそうになったら、反対しなければならない、という言葉に同感していたのですが、学生運動、労働運動ともに違和感があって、普通のサラリーマンとして過ごしたのですが、日中関係が尖閣問題で緊迫して以来、いよいよ反戦運動が必要だと思って、ブログを書き始めたものです。
    まずは自己紹介の意味で私のブログアドレスを書きますので、よろしくお願いいたします。
    「日中不戦ブログ」小林哲夫で、検索願います。

    以上

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    1. 伊東武是さま

      本日はお便りいただきありがとうございます。
      ぜひ話し合いをしたいと思います。
      というのは今まで10年以上ブログを続けて来ましたが、思想として一致する人にはあったことが無いからです。
      私も九条の会の会員ですが、会員の中に「中国と戦争に反対する」と発言する人はいないのです。
      驚いたことに「中国が攻めてきたら自分も戦う」という人が居て、その人が仲間から反対されない雰囲気があるのです。
      それが今回のウクライナ戦争でもっとはっきりしました。
      九条の会の仲間の大部分が反戦運動に立ち上がっていますが、その反戦とは、ロシア敵視・ウクライナ支援の運動なのです。
      私は「それは反戦ではなくて、参戦だ!」と異論を言ったために今は孤立状態に成っています。

      これは日本の思想の問題だと思い、同じ考えの人を見つけて、思想闘争をしなければならない、と思っているところなのです。
      こういう考えについての貴兄のお考えをお聞きしたいのですが、如何でしょうか?
      これはあまり一般性のない議論ですので、こちらのページでしたいと思うのですが、如何でしょうか?


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