相手を知り己れを知れば平和危うからず
正月のテレビで「山本五十六」をやっていた。香取慎吾が恰好いい。老人は、阿川弘之の小説で山本のことを知り、すごい人物だとおもっていた。
山本は、アメリカとの戦争について、かの国の国力が日本とけた違いであることを知って「戦えば日本は必ず負ける」との考えをもっていた、海軍省次官のときは、米内光政海軍大臣や後輩の井上成美とともに海軍三羽烏として、陸軍を中心とする開戦論者と非戦論を闘わせていた、そのために山本は好戦論者から命を狙われ、海軍は山本の身を守るため連合艦隊司令長官に転勤させた、そんな逸話であった。
山本の非戦論は、彼我の力関係を冷静に評価して戦うべきかどうかを軍人らしく判断するもので、今にして思えば特段に優れたものとまではいえないかもしれない。しかし、当時の支配層は、まことに情けないことに、孫子の兵法「敵を知り己れを知れば百戦危うからず」の応用判断能力を欠き、敵の実力を知らないままに無謀な戦争に突入したのである。
「敵を知る」ことは大事だが、さらに「己れを知る」ことも大切だとおもう。アメリカとの戦争の最大原因は、中国の東北部・満洲をめぐる「攻防」であった。当時、日本は満州を国家安寧の生命線とみてその確保と拡大に命運をかけていた。他方アメリカは、蒋介石政府の要請を受け、また自らの利権確保の企みもあって、日本に対して満洲からの全面的ないし部分的撤退を求めていた。日米交渉はこの点を中心に行われたが、日本はアメリカの要求を容れず、交渉を決裂させて真珠湾攻撃の道を選んだ。
日本は、満州の確保と拡大をめぐる「己れ」の利益追求の「非」を知るべきであった。アメリカとの関係ではたしかに帝国主義的利権をめぐる対立であったかもしれないが、中国との間では「侵略」であったことは間違いない。その「非」を自覚できていれば満洲から退く選択があったはずである。
当時の天皇制政府の責任はいうまでもないが、国民の側もマスコミを中心として満洲確保が国土の狭く資源の乏しいわが民族の生きる道であることを信じて疑わなかった。マスコミはじめ国民は、先人が血を流して確保した満州を死守すべきだとし、そこからの撤退を求めるアメリカを憎み、その要求を拒絶した政府を熱く支持したのである。国民に知らされていた情報には限りがあり、時代のパラダイムは否めないが、満州という他国の一部を奪うこと、それを「非」とみることのなかった多くの国民も「己れ」を知らなかった点の反省を忘れてはなるまい(自分が生きるためとはいえ、他人を犠牲にしていいはずはない)。
隠居老人がこのブログを通して願うことは、今日本は中国との間でさまざまな問題を抱えていて、衝突の危険さえ生まれている、その対決の渦に国民も巻き込まれようとしている、ただ、日中が衝突し戦争になることは誰も望んでいない、共存共栄を求めて話し合いをしなければならない、そのためには国民も含めて、相手のことを知り、己れのことも知らなければならない、ということだ。
相手の悪しき点だけでなくその言い分も聞く耳を持ち、自分の国の主張の正しさを信じるだけでなく利己的に過ぎないかを自戒する心も忘れてはならない。
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