出る杭は打たれる ― 米中対立の心理学(3)
イルカが唄う「まあるいいのち」はいい歌だ。
地元の9条の会のホームページに今月の歌として流れている。老いてひなびた心にもあたたかくやさしい想いが伝わってくる。
ぼくから見れば
小さなカメも アリから見れば
きっと大きなカメかな?
みんな同じ生きているから
東と西も
よその星から見れば
丸くてわかんない
みんな同じ宇宙の仲間
よその星から見れば
丸くてわかんない
みんな同じ宇宙の仲間
一人にひとつづつ 大切な命・・・
東と西、東洋と西洋、中国とアメリカ(日本)、そう読み替えることができそうだ。
民主主義の国アメリカにも、国内にさまざまな対立があって不満に思う人もおり、その過去には恥ずべき歴史もある。共産主義の国中国にも、迫害のもとに苦しむ人もいれば、貧しさから解放されて幸福をかみしめる人もいる。
国の事情はさまざまだが、そこに暮らす人々の日々の生活、その悲喜こもごもにさほどの差はないのかもしれない。みんな同じ価値の命をもち、みんな幸福を求めて生きている。いかに独裁国家といえども、その人々の支持を得られないでは統治はできないのだ。
イルカの歌から、私はそのように想いをふくらます。
中国の国内政治・外交政策には悪評がつきまとう。誇張のあり得ることを割り引いても、またイデオロギーではなくヒューマンな価値観からみても、負に評価すべきものがあることは否定できないであろう。
そうした負の側面を「追い抜かれる者」の焦りと動揺の目からみると、さらに巨大な悪と映ってしまう。正当に評価すべき面が伝えられることは少ない。私たちが日ごろ目にし耳にしている中国論はそのようなものではないだろうか。
私たちは「宇宙の目」で中国を見てみたいものだと思う。(了)
(次回は「南シナ海問題からみる米中対立の実相」という大仰なテーマに挑みます。大丈夫かな? 2週間くらい後に)