出る杭は打たれる ― 米中対立の心理学(1)

   
 出る杭は打たれる。
   小学館の「ことわざの辞典」によると、頭角をあらわす者はとかく他から憎まれ、妨げられる、意味だという。 

   私には「打たれた」記憶はないが、「打った」恥ずかしい思い出がある。田舎の高校時代、私は成績においてずっと校内一番であった。もちろん得意満面であり、気持ちの余裕もあって友人らにも親切に接し、文字どおりの優等生だった。
 ところが、ある時期から成績にかげりが見え始め、校内試験で2番に落ちることが続いた。A君が私を追い抜こうとしていたのだ。彼は中学時代はたいした成績ではなかったが、コツコツと努力をする人で、いまや私に追いつき、追い越そうとしている。私は焦った。そして憎んだ。彼の努力をたたえようとする気持ちなどなく、みじめな気持ちだけが私を支配した。

 夜な夜な
家族が寝静まったころ、私は自分の部屋の電気を消し、五寸釘と金づちとベニヤ板、それに昼間作っておいた「わら人形」取り出した。ロウソクの明かりの中で、頭には手ぬぐいの鉢巻きをして、「コンチクショー!」「バカヤロー!」と呪文をとなえながら、A君にみ立てた「わら人形」に五寸釘を打ち込むのであった。 

  追い抜かれる者の心理はそんなものだ。私だけが特殊だったわけではあるまい(五寸釘はやりすぎだけどね)。国と国との関係だって似たようなものだろう。A国はこれまで世界に並ぶものがない唯一の覇権国として、悠然と他の国々と接し、ときに言うことを聞かない他国には「ムチ」をつかうこともあった。
 そこにB国が台頭してきて、周辺地域で覇権まがいの行動にでるようになった。B国はいまやA国のいうことを聞かず、いずれA国の世界的な覇権地位さえ危うくしかねない勢いである。
 アメリカと中国の関係をそのようにみることはできないだろうか。そうだとすると、アメリカの側に「追い抜かれる者」の心理が働いているのではないか、そうみても不自然ではあるまい。(つづく)  
               (カットは次男・イラストレーターの伊東ユウスケ)

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