(日本の有事はどうして起こるのか)
中国は、台湾の独立を阻止しようとして武力行使をするとき、米国や日本と戦争になることは望んでいない。戦争相手を増やすことは、台湾制圧の目的を達することが困難となるからである。
ロシアはウクライナに攻め入ったが、ウクライナの隣国であるポーランドやルーマニアを攻撃しようとはしていない。それと同じく、台湾有事の際、特段の事情でもないかぎり、中国が日本を攻撃することはありえない。 「台湾有事は日本の有事」といわれるとき、この当たり前の事情が忘れられ、中国と台湾との間での戦闘がはじまれば、当然のように日本にも戦禍が及んでくると語られる。
しかし、台湾有事の際、日本が台湾(これを支援するアメリカ)の側にたって介入しなければ、中国との間で戦争になることはないのだ。私たちは、このことまずしっかりと頭に入れておくべきである。
柳澤協二氏は、国会で参考人として意見陳述した際、このことを明確に述べている。
「台湾有事がいきなり日本有事になるのかというと、実は、論理的な構造はそうではなくて、台湾有事というのは中国が台湾に武力行使をすることなんですね。そこでアメリカがその防衛に参加すると、今度はそれが中国とアメリカの戦争になってくるわけで、その際に、アメリカ軍は日本の基地、日本を拠点にしないととても戦えないわけですから、日本の基地を使うことも含めて、あるいは自衛隊がサポートすることを含めて、日本がそれに協力するとなった段階で初めて台湾有事が日本の日本有事という形に変わってくる、そういう流れになっていくんですね。」(注1)
(日本はアメリカに協力すべきでない?)
柳澤氏は以前から、台湾有事に日本が巻き込まれ中国との間で戦争となってはいけないことを強く主張し、何よりも台湾有事が起きないように日本が外交努力をすべきだと主張してきた。その姿勢はわが国の平和を願う人々の熱い支持を得てきた。老生もそのひとりである。
ただ、その柳澤氏が、上記の陳述に続いて以下のように述べているのに、老生は戸惑いをおぼえた。「そこで日本が協力すれば、日本が戦争の当事者になってしまうということ、そして、日本がアメリカ軍に協力しなければ、恐らく日米同盟はもうもたないことになるだろうという、こういう実は究極の選択が迫られる、非常に考えたくもない、悪夢のような事態なんだろうと私は思っているんですね」
柳澤氏は、その陳述の前半部分で、台湾有事が日本有事になるのは、➀米軍の対中国攻撃に在日基地を使用させること、➁自衛隊が米軍を支援すること、など日本が米軍に協力するという段階になってはじめて生じると的確な指摘をしている。
そうであれば、日本が戦争を回避するためには、アメリカに①②のような協力をしないことこそが肝要なことではないかと思われるのに、柳澤氏はその陳述の後半部分でその点にためらいを示していたのである。
(柳田氏らの新たな提言、控えめではあるが「協力しない」方向を打ち出す)
そこでは、台湾有事が日本を巻き込んで戦争となることを回避するための方策が提示されている。まず第一に、日本がアメリカ、中国、台湾に働きかけ、台湾をめぐり武力衝突を起こさないような平和外交を展開すべきだとする。柳澤氏の年来の考えであって、異論の余地はない。
注目すべきは、そうした努力にもかかわらず、いざ台湾有事となったとき、わが国はどのような対応をとるべきかについて、控えめな表現ながら、上記①と②、すなわちアメリカへの協力を拒絶することのありうることを明らかにしている点である。(注2)
老生のみるところ、「台湾有事は日本の有事」を言い出したわが国の右派勢力は、「いざ鎌倉」となったとき、アメリカの台湾防衛に協力すること(上記①②)を、当然のごとく主張してきた。そのために安保三文書、米軍と自衛隊の指揮系統統括など、さまざまな軍事強化策をうちだしているのである。
にもかかわらず、これまでは、野党を始め民間の平和勢力も、台湾有事が起こったとき、台湾を支援するアメリカに日本は協力すべきでない、との声を力強くあげることがなかった。特に上記②の拒絶(存立危機の不存在)については、だれも明確に主張してこなかった(ように老生には思える)。(注3) その意味で、今回、控えめ、遠慮がちであっても、台湾有事においてはアメリカへの協力を拒否する姿勢をうちだしたNDの提言(決して日米同盟を軽視するつもりはないとしつつ)は、高く評価されるべきである。
(➀と➁の協力を保守政権に拒絶させることは容易ではない、今から議論を起こすべき)
「いざ鎌倉」となって、アメリカから日本に➀や➁の協力要請があったとき、日米同盟強化の名の下に対米従属の度を深めつつある保守政権が、拒絶の対応をするとは期待しにくい。
まずは、事前協議のあり方や存立危機の認定(中国がいかなる行動にでるときか)などについて、今から国会で議論を重ね(政府に対する質疑を通じてなど)、戦争回避の国民世論を醸成しつつ、いざという時の政府の対応に揺さぶりをかけるところからはじめなければならない。(注4)
ただ、政府はこれまでも、防衛上の機密、米国との約束、抑止力の減退、相手を利する危険などさまざまな理由をこじつけ、国会審議の場でも「防衛」上の情報の開示を拒否し、あるいは「事前協議」や「存立危機事態」の判断基準を明確にするのを拒否するなどして、野党の追及を逃れてきた。政府は今後もそうした事柄を「防衛機密」として秘匿しあるいは曖昧にする姿勢をますます強めてくるであろう。
(主権者たる国民に重要事項を秘匿したまま「戦争」の準備・開始をすることは許されるか)
ここに、戦後日本ではこれまでほとんど議論されてこなかった大きな問題が浮き彫りとなってきた。国民主権下において「戦争」という国家存亡の一大事が、誰の判断で準備され開始されるべきか、である。
明治憲法下では、天皇主権のもと、軍事統帥権は天皇にあって、宣戦布告をはじめ軍事に関する事柄は、議会がこれをチェックすることは不可能であった(統帥権の独立)。戦後のわが国では、憲法9条のもと戦争が放棄されていたため、この問題を議論する余地なく今日まで来た。
しかしながら、2015年の集団自衛権の一部容認、さらには2022年の安保三文書、反撃能力容認などにより、自衛隊の武力行使範囲が、これまでの「自衛の範囲」から質的に拡大し、今や日本は「戦争のできる国」となった。
にもかかわらず、この新らたな「戦争」を、国民主権下で、誰がいかに準備し、どんな判断基準で開始し、制御すべきかについて、何も議論されてこなかった。そのため、政府に都合の良い「防衛機密」の秘匿姿勢が大手をふり、野党や国民をけむに巻く事態を招いているのである。
主権在民の日本であるにもかかわらず、今も明治憲法下と同様、国民に肝心な情報が知らされないまま戦争準備が進められ、曖昧あるいは間違った判断で戦争に突入しかねない状態が続いている。
「その点はアメリカ政府からの秘密情報なのでお伝えできませんが、今やわが国が存立危機の事態となったことは間違いありませんので、自衛隊を出動させます」というような「大本営発表」を国民は許すべきであろうか。
秘密裏に準備され実行された「満洲事変」「真珠湾攻撃」を現代に蘇らせてはならない。
注1 第211回国会 23.4.21衆議院財務金融委員会・柳澤参考人の冒頭発言 ここ
注2 ①に関しては、「米軍の日本からの出撃が事前協議の対象であることを梃子として、台湾有事には必ずしも『YES』でないことを米国に伝える」と表現している。②に関しては、「台湾有事について・・・日本が、日本の国力・自衛隊の能力・政治的要因によってできることとできないことを明確に認識し、米国にも伝えるべきである」と表現している。ここでは、自衛隊法76条1項二号に定める集団的自衛権が「存立危機」不存在により行使できない場合のあることを述べているものと理解される。なお、①と②に関しては拙稿あり。23.8.2「国会は自衛隊の参戦を安易に「承認」してはいけない!」と22.11.19「日本は在日基地からの米軍機等の出撃を『事前協議』で『ノー』というべきだ」
注3 対米従属の地位に甘んじる現政権は、アメリカからの支援要請を断れば日米同盟は破綻し、日本の防衛が危うくなることを避けたい思いがある。この懸念は、中国脅威論とともに野党を含めて平和勢力にも伝播し、①②の協力拒絶を強く主張するのをためらわせてきたのではなかろうか。柳田氏の上記「悪魔のような事態」発言はこの不安心理を率直に述べたものではないかと思われる。
注4 自衛隊法76条1項は、自衛隊の防衛出動に関しては、国会の承認を得ることが必要と明記している。議論が充分に行われてこなかった現法制下でも、「戦争」開始に対する議会による民主的統制の一端が明記されていることに、私たちは鼓舞されるべきであろう。
自衛隊法76条1項
内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)第九条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。
一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態
隠居老人さま
返信削除▶政府に都合の良い「防衛機密」の秘匿姿勢が大手をふり、野党や国民をけむに巻く事態を招いているのである。◀
この事態に対して、野党が政府を追及すべきなのにそれをしていないのが大問題です。
政府の戦争政策を応援しているように見えます。
国民はこの現実に気が付いていないようです。