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10月, 2021の投稿を表示しています

台湾独立をめぐる友人との「論争」(2)

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  ( b)   「一国二制度」は独立を妨げる正当化理由とすることができるか。たしかに、アメリ カ、日本をはじめ世界の主要国は「一国二制度」に賛同し、その上で中国と国交を樹立し台湾とは断交した経緯がある。ここから「一国二制度」は今や国際ルールとなっている。  したがって、中国がこのルールを重んじて、台湾独立を支援するのを国際ルール違反とみることはまちがっていない。アメリカをはじめ諸外国がみずから加わって作りあげたルールを棚にあげ、ひそかに(時には大っぴらに)台湾独立を支援しようとするとき、中国がこれに抗議するのは当然である.  (c)    問題はその先である。「過去はそのとおりだ。しかし、時代が変わったのだから『一国二制度』も見直すべきで、このルールをいつまでも金科玉条としている中国の態度は、あまりにも狭量で人々の幸せを考えていない」と言われると、たしかに反論もしにくい。友人らの考えはここにあろう。     (d)    だが、現在世界的に展開されている台湾独立支援の動きで中心となっているのは、台頭著しい中国との対立姿勢を一段と強めているアメリカである。その背景を考えると、独立したあかつきの台湾は、アメリカの対中国封じ込め包囲網の一員、しかも地理的な最短距離にあって真っ先に角突き合わせる立場とならざる得ないことは目にみえている。     これでは、中国が台湾独立に賛成できないのも当然ではないだろうか。 自国に害をもたらしかねないもの を容認するわけにはいかない。      (e)このことは逆に考えれば、中国にとって独立台湾が自国に害をもたらさず(できれば)かえって有利な面さえ生じさせてくれるとなれば、中国が「一国二制度」を見直す可能性を示唆するものではないだろうか。  ここまで書いて行き詰ってしまった。私は何を書いているのだろう?    理屈、リクツ、理屈・・・中国を擁護する理屈を並べている・・・。  友人はとうてい納得できまい。議論を続けていけば、彼も中国批判の理屈で反 論するだろう。二人は不毛な議論をしているのだ!   隠居老人がこのブログを立ち上げたのは、中国の弁護をするためではない。    国情の違いがあり意見の違いがあっても、日本と中国は平和共存、協調共栄であってほしい、なんとしても戦争を回避してほしい「祈り」であったはず。 老人はどこかで道を間違え「迷

台湾独立をめぐる友人との「論争」(1)

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  友人と久しぶりに酒を酌み交わす機会があった。たわいない話をするうちに、話題は台湾の問題に及んだ。お互いリベラル派とうぬぼれている。政治の話になることは珍しくない。大方はこの面でもウマがあっている。  ところが今回はいけない。ちっともかみ合わないのだ。彼は「中国は台湾の独立をどうして認めないの。あれだけ台湾の人々が独立を求めているのに」という。私の話し下手もあって彼は私の意見にはとうてい納得しがたい様子。   よくよく考えてみると、彼のような考えは今の日本のほとんどすべて人のものかもしれない。台湾の独立を認めない中国を擁護するかのような私の意見は非常識に近いものかもしれない。私の気持ちは落ち着かない。    台湾の問題は、当然いずれゆっくりこのブログでも取り上げるつもりでいたが、もやもやした気持ちのこの時点で、とりあえず大雑把にでも整理してみたい。自分なりには納得しているが、はたしてどこまで説得力があるのか。 ①    私も台湾の人々が独立を望むならそれが適えられたらいいと思う。応援したい気持ちさえある。それが簡単にはいかないのだ。 ②   台湾の独立とは「独立宣言」することだけではない。まずアメリカ、日本その他国際社会がその独立を「承認」して「国交樹立」することがなければ実現したとはいえない。この二つがなければ「独立宣言」は絵に描いた餅にすぎない。 ③   言い換えれば、台湾が独立するということは国際的に「二つの中国」を認めるということである。これまでのアメリカ、日本など国際社会は「一つの中国」しか認めてこず、中国のいう「一国二制度」を容認してきた。その外交方針を改めるということである。 ④   他方、中国は建国以来「一つの中国」を国是としている。台湾を自らの領土の一部だとし、それを「核心的利益」としてきた。当然台湾の独立を許そうとはしない。理由をつけるとすれば「大事な国土人民の一部だ、これを失うことの損害は計り知れない」ということになろうか。 ⑤   そこで友人の不審だ。「過去はともかく、時代が変ってきて、台湾の人々の独立志向が高まっている。いつまでもこれを抑え込む中国の態度は専制支配そのものではないか、独立を妨害するまともな理由はない」というのであろう。   (a )たしかに、中国側の国家経済的そろばん勘定では人々を納得させることはで

南シナ海・領有権争いと米中パワー対立(6)

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  仲裁裁判について 国連海洋法条約にもとづく仲裁裁判所は2016年に、フィリピンが中国を相手に提訴した南シナ海紛争事件について、仲裁判断をくだした。  その中心部分の結論だけいえば「ス諸島には200海里の排他的経済水域や大陸棚を持つ島は一つもなく、せいぜい20海里の領海しかもたない岩が存在するだけだ。・・・大陸棚を持つ国(フィリピン)がその上にある岩を領有する」とした。 排他的経済水域( EEZ )における鉱物・水産資源に狙いがあるからこそ、関係諸国はちっぽけな島しょの実効支配に懸命となってきたのだ。仲裁判断は中国に大きな敗北をもたらしたが、ベトナム、マレーシアも失望させる内容を含んでいた。中国の占拠した島しょの一定部分をフィリピンの領有とするなどフィリピンの一人勝ちであった。  中国は仲裁裁定の相手となる「参加」をしていないのに、フィリピン勝利の結論を押し付けられるのを拒否している。その無効を主張する法律論もあながち無茶とは思えない。また今回の提訴は、島しょの領有権を正面から審理する裁判ではなく、島しょの形状・位置(島か岩か低潮高地か)などに関する海洋法の解釈を求める仲裁裁判である。いわば「からめ手」の裁判で勝利を得ようとしたフィリピンの姿勢を問題としている。根本には、フィリピンが戦後南シナ海の領有を主張し始めたころは、周辺の国から冷笑されるほどに根拠の薄弱なものであったのに、その後、領有根拠を変えて地勢的有利さにしぼって主張するようになった、その変わり身も納得していないのだろう。 ただ、中国は海洋法を批准している国家なので、仲裁裁判の提訴相手となった以上「参加」しなくてもその判断に従うべきであろう。少なくともフィリピンとの間では、この結論を受け入れて二国間交渉にのぞむのが国際ルールを遵守する大人の態度だと思われる。交渉次第ではフィリピン側に主権があるとされた島しょについても、これを租借して利用すること(たとえ軍事基地であろうと)はできるのであるから( ドゥテルテ比大統領が仲裁判断を「紙切れにすぎない」と述べたのは交渉こそ本番との趣旨であろう )。 仲裁裁判の当事者となっていないベトナムやマレーシアは、この裁定を受け入れなければならない義務はなく、したがって、中国はこれらの国とは自由に交渉することはできる。ただ、海洋法批准国である以上、仲裁裁判所

南シナ海・領有権争いと米中パワー対立(5) 

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中国が国内で中距離ミサイルを増やしたり空母や潜水艦を建造することに対して、国力の増大にみあう通常の防衛力向上と言われれば、アメリカとしてもこれを非難する理由をみつけにくい。だが、中国の南シナ海進出については、弱小国ベトナム、フィリピンから武力で「島々を奪って」基地建設したと喧伝できるだけに、中国の覇権姿勢イメージを醸成するのに格好なものであった。 アメリカにしてみれば、中国の南シナ海での滑走路建設は、アメリカが作りあげた中国封じ込めラインの一角に「ほころび」を生じる事態であることはまちがいない。自らの優位のもとでのパワーバランスがわずかでも崩れようものなら「焦り」「動揺」するのがアメリカの常である。佐橋教授はこのようなアメリカと中国の関係について、中国政府が「既存の国際統治メカニズムから巧みにすり抜け、そのような行為を抑止したり、対処しようとしたりするアメリカ政府の試みを回避することで、アメリカの利益を脅かすような政策をとり始めている」との専門家の「分析」を紹介している(「米中対立」117p)。 南シナ海問題は、アメリカが弱小国ベトナム、フィリピンなどのために一肌脱いでいるのではなく、自国の利益のために中国を非難しつつ対抗しようとしているとみるべきではないだろうか。今やASEAN諸国も東南アジアでの米中の対立の先鋭化を迷惑がっている。   米中対立の領有権争いにあたえる影響 中国による2014年以降の3本の滑走路築造にもかかわらず、ASEAN諸国と中国との間のDOCを具体化する行動規範に向けての話し合いは、難航しつつも辛抱強く継続されている。ASEAN諸国は滑走路が主にアメリカに向けられた軍事施設であって周辺国を威嚇しようとしたものではないことを理解しているのだ。威嚇されながら話し合いを続けるほどASEANはやわではない。   ASEAN諸国はまた中国との友好善隣関係が対立・衝突よりも重要だと認識している。中国も自国の利益のために近隣ASEAN諸国との信頼関係は欠かせず、この関係が損なわれれば尊敬される大国化への道は閉ざされることを理解していると思われる。( つづく  5/6  明日は「仲裁裁判」を考え、この項をおしまいとしたい)。  

南シナ海・領有権争いと米中パワー対立(4)

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  米中パワー対立 南シナ海問題についても、アメリカは2000年ころまでは単なる領土紛争とみて、特にどちらにも味方しないスタンスであった。ところが、中国の経済的台頭が著しくなるにつれて警戒感が高まるなか、2014年ころからの中国による巨大な3本の滑走路建造は、南シナ海の島しょ占拠のもつ軍事的意味合いを鮮明にさせ、アメリカの中国非難は一気に高まった。日本を含めた西側世界のマスコミ・世論も、南シナ海における中国の行動がいよいよ牙をむきだした覇権行動の第一歩であるかのような非難の目を向けるようになった。      だが、いささか誇張があるように思われてならない。 滑走路はたしかに軍事目的であろう。しかし、カリブ海に造ったわけではなく、ハワイ沖の島を造成したわけでさえない。南シナ海の滑走路はアメリカ本土に戦闘機を向けるにしては遠すぎる。また前記のとおりASEAN諸国を脅すために造る必要も考えにくい。 そうすると、軍事施設たる滑走路は、中国がアメリカなどの他国に狙いを定めるためではなく、自国防衛の一環として造ったものと考えるのがまっとうな見方ではないだろうか。アメリカの中国封じ込め政策に対する防御である。南シナ海をわがもの顔で走行するアメリカ艦船に対しては防御・偵察のために相当に効果があろう。中国を標的にするグァム島の米軍基地に対してもいくらかのにらみを効かすことになるかもしれない。    自己防衛的な色彩の濃い行動にもかかわらず、中国の南シナ海進出は、他国への支配力影響力を及ぼす覇権行動の代表例であるかのように喧伝されている。南シナ海に進出してむしろ多数の島を占拠し、そこに同じく軍事施設を造っているベトナムやフィリピンが非難されることは決してない。中国に悪意をもつ誰かがためにする見方を広めたのではないだろうか。世のマスコミが、現地取材しにくい海域での出来事についてアメリカやベトナム、フィリピンなどの一方的な情報だけを集めて世論形成していることも原因していると思われてならない。(明日に つづく   4/6)

南シナ海・領有権争いと米中パワー対立(3)

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  8 ス諸島の島しょ占拠合戦は1990年代後半ころを期に、各占拠の現状を維持し大きな波風が立たないままほぼ鎮静化していた。   二国間あるいは中国とASEAN(ベトナム、フィリピン、マレーシアも加入)との間で種々の話し合いがもたれるようになった。そして、ASEANと中国は、2002年領有権紛争を平和的手段での解決をめざすことなどをうたった「南シナ海における関係国の行動宣言」(DOC)に合意し調印した。  その後、両者はさらにこの行動宣言を具体化するものとして、あらたな占拠活動はせず(武力行使をせずに)現状を固定化することなどをメインとするさらに一歩進んだ条約づくり(行動規範)に向けて話し合いを重ねていた。   9 紛争が平和的解決に向けて進展していくかにみえた背景には、中国とASEAN諸国との双方にとり協調による利益の方が衝突・対決よる利益よりも大きいことを了解し合った結果と思われる。   すなわち、中国にとっては、自国の大国化がアメリカ、日本などとの競争を深刻にし対立にまでいたることが予想されるなか、近隣国としてこれまた力をつけてきたASEANとの友好関係を継続することが安定した経済的成長のためにはもとより安全保障上も重要となってきたこと。  またベトナム、フィリピン、マレーシアにとっても、大国化する中国を恐れる気持ちとともに、中国と良好な関係を築くことが自国だけでなく地域の成長発展にとっても不可欠であるとの共通の認識に生まれてきたこと、こうした背景事情が指摘できよう。 10  ところが、21世紀に入ってからの中国の経済成長はさらに著しく、先進資本国が驚きとともに競争相手として警戒を強めるようになっていたとき、2014年ころ中国が南シナ海に占拠していた島しょの埋め立てを加速し、ついに軍事的意味をもつ3000メートル級の滑走路を次々と築造していることが明らかとなった。このことが東アジアに影響力を持つアメリカをひどく刺激し、中国の覇権主義的行動として世界に喧伝されるようになった。 中国による南シナ海島しょの大きな現状変更は、平和的話し合いを進めようとしていたベトナム、フィリピンにも少なくない衝撃を与えたと思われるが、このことは南シナ海紛争がもたらした米中対立の実相をみた後にもう一度検討してみたい。(明日に つづく   3/6)  

南シナ海・領有権争いと米中パワー対立(2)

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  6 中国の占拠過程においては、1988年にサウスジョンソン礁(中国名・赤瓜礁)をめぐってここを実効支配していたベトナム軍との間で武力衝突が起り、中国はこれを制して占拠した。ベトナムに兵士約30人の死者がでた。その後も中国は、フィリピンが実効支配していたミスチーフ礁を占拠 した( その方法がフィリピン軍の監視のすきをみて構造物を建造したため一騒ぎがあった)ほか、全部で7つの礁を実効支配するに至った。 7 サウスジョンソン礁における武力衝突など中国の占拠過程については、他国が先に実効支配していた島しょを無法に「奪った」ものと非難する向きが多い。だが、対象の各礁部分はもともと相手国の主権が及ぶ領土ではない係争地域なので、 客観的には中国 の武力行使を侵略行動(主権侵害)とみるべきではない。   ちなみに、未発見の無人島などについてはこれを最初に「発見」した国に主権が与えられる「先占」という国際法上の慣習があるが、ス諸島の島しょは戦前からその存在が知られているものであるから、ベトナムやフィリピンの実効支配は「先占」には当たらない。  実効支配とは、領有権争いのある地域を一方の国が相手国の承認を得ないまま、軍隊を置くなどして実質的に統治している状態といわれる。国境紛争と同じに考えていい。一方の国がその紛争地内の要衝陣地を確保していても相手国から奪いかえされることは予想される事態であり、そこに武力が用いられたとしても、占領そのものが武力を背景とする性格であることからすると、攻撃された側が相手を非難できるものではない。領土紛争においては 国際法上も、特 段の事情のない限り 先に実効支配した側に「奪われない権利」までは保障していない。係争地をめぐる双方の権利はフィフティフィフティというべきか。ベトナム、フィリピンが武力を用いず先に占拠できたのは他の国が武力で妨害しなかったというだけのことである。ベトナム、フィリピンに先に占拠した島しょが武力で奪われることを妨げる特段の事情はなかった。 (非難はせいぜい「中国は大国なのだから弱小国に譲ってやれよ」というくらいではないのか。それに対して中国は反論するだろう。「こちらは本体の島ではなくちっぽけな礁に的を絞った控え目な占拠行動だった。それでも相手国の占拠数とくらべてまだ相当に少ない」と)。(明日に つづく    2/6)  

南シナ海・領有権争いと米中パワー対立(1)

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    お久しぶりです。何とか準備ができました。   中国にかかわる南シナ海問題を、平和共存への期待を込めて冷静に考えていきたいと思います。  二つの場面に分けるのが適切だと思われる。一つは中国とベトナム、フィリピン、マレーシアなどとの二国間紛争(領有権争い)の場面、もう一つは中国とアメリカとの対立(パワー対立)の場面である。  南シナ海紛争の中心であるスプラトリー諸島(中国名・南沙諸島、以下「ス諸島」と略す)は右図のとおりである。 ス諸島には約25の島と200以上ともいわれる岩、礁などがある。 島 (陸地)は最も大きなイツアバ島(太平島)でさえ0.43k㎡しかないほどの小さなものばかりであり、高潮のときは水面下に沈む多数の 礁 も重要視され、占拠の対象になってきた。 二国間紛争 (領有権争い) 1 ス諸島については、中国、ベトナム、フィリピン、マレーシアなどが領有権(主権)を争い、中国とベトナムはその全部の、フィリピンは東側の一部分の、マレーシアも南側の一部分の島しょ (島や礁など) の主権を主張している。南シナ海の紛争は、中国と 各国と の間だけでなく、ベトナムとフィリピン、ベトナムとマレーシアとの間にも存する四つ巴の争いである。 2 その領有権主張の根拠として、中国とベトナムは歴史的発見、漁民らの歴史的利用、植民地時代の宗主国の支配などを、フィリピンとマレーシアは地勢的状況、漁民らの歴史的利用、「発見」経過などを挙げている。  ただ、そもそも広い海域に散在する多数の小さな島しょについてその発見や利用の主張を読んでみても、個々の存在自体が当時は限られた人にしか知られておらず、確かな記録史料があるわけでもないので、いつどの国の主権下に入ったといっても、どれも漠としていて雲をつかむような話しである(1のとおり紛争が多重化していることもその表れと思われる)。 3 1951年のサンフランシスコ条約で日本は支配していた台湾や新南諸島(ス諸島の一部)を放棄したが、台湾については中国への返還をきめたものの、新南諸島についてはその帰属先を決めなかったことも(そのために今日の紛争になったといわれる)、決め手がなかったからと推測するほかはない。 4 そのような島しょであったから、戦後まもなく台湾がイツアバ島(太平島)を占拠開発しようとしたほかは、そのほとんど

出る杭は打たれる ― 米中対立の心理学(3)

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  イルカが唄う「まあるいいのち」はいい歌だ。  地元の 9条の会のホームページ に今月の歌として流れている。老いてひなびた心にもあたたかくやさしい想いが伝わってくる。     ぼくから見れば     小さなカメも                                                   アリから見れば   きっと 大きなカメかな?                    みんな同じ生きているから   一人にひとつづつ 大切な命・・・                             ぼくから見れば     東と西も                     よその星から見れば   丸くてわかんない   みんな同じ宇宙の仲間   一人にひとつづつ 大切な命・・・   東と西、東洋と西洋、中国とアメリカ(日本)、そう読み替えることができそうだ。 民主主義の国アメリカにも、国内にさまざまな対立があって不満に思う人もおり、その過去には恥ずべき歴史もある。共産主義の国中国にも、迫害のもとに苦しむ人もいれば、貧しさから解放されて幸福をかみしめる人もいる。 国の事情はさまざまだが、そこに暮らす人々の日々の生活、その悲喜こもごもにさほどの差はないのかもしれない。みんな同じ価値の命をもち、みんな幸福を求めて生きている。いかに独裁国家といえども、その人々の支持を得られないでは統治はできないのだ。  イルカの歌から、私はそのように想いをふくらます。   中国の国内政治・外交政策には悪評がつきまとう。誇張のあり得ることを割り引いても、またイデオロギーではなくヒューマンな価値観からみても、負に評価すべきものがあることは否定できないであろう。 そうした負の側面を「追い抜かれる者」の焦りと動揺の目からみると、さらに巨大な悪と映ってしまう。正当に評価すべき面が伝えられることは少ない。私たちが日ごろ目にし耳にしている中国論はそのようなものではないだろうか。 私たちは「宇宙の目」で中国を見てみたいものだと思う。(了) ( 次回は「南シナ海問題からみる米中対立の実相」という大仰なテーマに挑みます。大丈夫かな?   2週間くらい後に)                          

出る杭は打たれる ― 米中対立の心理学(2)

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    佐橋亮教授は、中公新書 「米中対立 アメリカの戦略転換と分断される世界」のなかで、 トランプ政権になってからのアメリカの中国に対するみかたについて、各種の報告書を引きながら、                                            「インド太平洋におけるパワーバランスが崩れつつあり、また中国の影響力の増大が世界各地域でみられることに警鐘を鳴らした」  「科学技術においても、中国がアメリカの先端分野で追いつき、一部追い越しているとの現実に、アメリカの為政者は動揺した」  「中国が世界経済やアジア地域のバランスを変えるだけでなく、国際秩序を支えるルールや規範に影響を与え、世界各国の権威主義化さえ促進しているとの焦りがアメリカで深まった」 など「警鐘」「動揺」「焦り」を報告している(131p)。 「 追い抜かれる者」の心理である。    高校生の勉学競争における「追い抜かれる者」の心理は、世の中にさざ波一つ立てることはなかった。私とA君の「暗闘」も大学受験が済んでそれぞれの道を歩み始めたころには、すっかりおさまり、友情をとりもどしていた。  国と国との関係ではそうはいかない。対立は対決となり、衝突、戦争へと発展しかねない。「追い抜かれる者」は、こっそり「わら人形」に五寸釘を打ち込むことではすまないのだ。  「成金」と「老舗」の競争が面白い例といえるかもしれない。  小さな商売人であったCは、貧しいながらもコツコツと血のにじむ努力をし、爪に火をともすように倹約し無駄をはぶき、一代で富を築いていった。いまや商売上の勢いは老舗Dにまけていない。おおらかに穏やかな商売をつづけ、弱小企業からも頼りにされていたDは焦る。わが傘下にあった業者がみんなCの方になびこうとしているではないか。 Dの番頭らは成金Cの商売のやり口の悪評を取り集め、その「汚さ」「ケチくささ」「意地悪さ」を周辺にまき散らし、Cの評判を落としてDの地位を回復しようとする・・・。  「南シナ海」「香港問題」「ウィグル問題」「台湾問題」「サイバー攻撃」「国内の人権弾圧」「習近平の独裁」などなど、さまざまな中国の悪評は、主にアメリカ筋から世界に流されたと見て間違いないだろう。いまはそれら悪評の真偽やその程度には触れない。このブログにおける大事な検討課題である、じっくり調べ考

出る杭は打たれる ― 米中対立の心理学(1)

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     出る杭は打たれる。    小学館の「ことわざの辞典」によると、頭角をあらわす者はとかく他から憎まれ、妨げられる、意味だという。     私には「打たれた」記憶はないが、「打った」恥ずかしい思い出がある。田舎の高校時代、私は成績においてずっと校内一番であった。もちろん得意満面であり、気持ちの余裕もあって友人らにも親切に接し、文字どおりの優等生だった。  ところが、ある時期から成績にかげりが見え始め、校内試験で2番に落ちることが続いた。A君が私を追い抜こうとしていたのだ。彼は中学時代はたいした成績ではなかったが、コツコツと努力をする人で、いまや私に追いつき、追い越そうとしている。私は焦った。そして憎んだ。彼の努力をたたえようとする気持ちなどなく、みじめな気持ちだけが私を支配した。   夜な夜な 家族が寝静まったころ、私は自分の部屋の電気を消し、五寸釘と金づちとベニヤ板、それに昼間作っておいた「わら人形」取り出した。ロウソクの明かりの中で、頭には手ぬぐいの鉢巻きをして、「コンチクショー!」「バカヤロー!」と呪文をとなえながら、A君にみ立てた「わら人形」に五寸釘を打ち込むのであった。     追い抜かれる者の心理はそんなものだ。私だけが特殊だったわけではあるまい(五寸釘はやりすぎだけどね)。国と国との関係だって似たようなものだろう。A国はこれまで世界に並ぶものがない唯一の覇権国として、悠然と他の国々と接し、ときに言うことを聞かない他国には「ムチ」をつかうこともあった。  そこにB国が台頭してきて、周辺地域で覇権まがいの行動にでるようになった。B国はいまやA国のいうことを聞かず、いずれA国の世界的な覇権地位さえ危うくしかねない勢いである。  アメリカと中国の関係をそのようにみることはできないだろうか。そうだとすると、アメリカの側に「追い抜かれる者」の心理が働いているのではないか、そうみても不自然ではあるまい。( つづく )                  (カットは次男・イラストレーターの伊東ユウスケ)