(何ゆえに高市内閣は憲法改正に執着するのか)
選挙で大勝した高市内閣は改憲に意欲的である。自民党の憲法改正案の目玉は、9条の戦争放棄、戦力不保持の規定をそのままにした上で、「9条の2」を新設し、そこに、
「前条(9条)の規定は「わが国の平和と独立を守り、国および国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げない」
との規定を入れる案が有力である。「必要な自衛の措置をとる」の点が味噌である(後述)。
歴代の自民党政権がなぜ悲願とするほど自衛隊明記の改憲に執着するのか。護憲勢力は、彼らが自衛隊を増強しその活動範囲を広げる軍事拡大政策のために必要としているものとみて、その危険性のゆえにこれに強く反対し警戒してきた。
私はさらに、「存立危機」認定をめぐる最近の議論から、自民党の改憲意欲、特に自衛隊明記を強く望んでいる背景が見える気がして、考えさせられている。
昨年11月の国会質疑の中で、高市首相は「台湾有事は存立危機となる可能性がある」旨答弁したが、岡田議員の「存立危機にあたらない」旨の反論を浴び、高市はわが国を戦争に導こうとしているのか、などと大きな論議をよんだ。
集団的自衛権行使のための要件とされた「存立危機」をいかに認定するかは、2015年の安保法制審議以来、あいまいなままにされている。わが政府は、台湾有事の際、米軍の要請があれば自衛隊を参戦出動させたい、あるいは支援出動せざるをえないとは考えているのであろう。ところが、いざとなったとき、出動命令を下すために必要な「存立危機」認定について、国民、野党を納得させる説明ができるか、いまだに自信がもてていないようである。自民党の改憲意欲はこの点と深く関係していると思われるのだ。
(「存立危機」って何?)
少し詳しく説明したい。
憲法9条は戦争を放棄し、戦力は保持しないと定めた。しかし、政府は自衛隊を創設する必要から、
「憲法13条に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されない」
として自衛隊を容認する憲法論を展開したうえ、
「だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力行使によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものである・・・わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのである・・・したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」
との自衛権行使に厳格な制約のあることを説明した。(赤字 昭和47年10月14日 内閣法制局。個別的自衛権とされる自衛隊法76条1項一号(下記)はこのような説明のもとに合憲とされてきた)
安倍政権は、集団的自衛権行使を容認する道を検討した際、上記の憲法解釈があるためにこれを正面から認めることは困難とみた。そこで自衛権の範囲内で、集団的自衛権の一部でも認める方法を探り、よその国への攻撃があった場合でも、わが国の存立が危機に見舞われる場合には、自衛権行使の措置として集団的自衛権の行使ができる、という奇妙な理屈を編み出し、これをもとに自衛隊法76条1項二号(下記)の法案を作成し成立させたのである。
(木に竹を接いでもアカン!)
当然のことながら、「木に竹を接いだ」法律条文となった。
自衛隊法76条1項二号の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した」場合に「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」が生じるという不合理さ。すなわち「他国が他国を攻撃した」場合には、「他国に存立危機」が生じることはあっても、「我が国が存立危機」となるということは、普通に考えればありえないのである。
具体例に即していえば、台湾有事の際、中国軍が台湾支援の米軍艦船を攻撃したからといって日本の存立危機と直接には結びつくはずはなく、同じく中国軍が米軍の航空機を攻撃しても(たとえ日本防衛にかかわるミサイル防御システムを搭載していても)ただちに日本の存立危機となるものではない。
もちろん、中国軍の米軍への攻撃が、日本攻撃をも意図して仕組まれた(考えられないことだが)のであれば、日本の存立危機とみる余地はあるが、その場合は、自衛隊法76条1項一号の「・・・我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態」すなわち個別的自衛権の問題ではあっても、二号の集団的自衛権の問題ではないのである。
わが国が直接に攻撃された場合の「存立危機」という「木」に、よその国への攻撃という「竹」を接いだところに無理があったのである。
学者らが自衛隊法76条1項二号に該当する事態は想定できないとするのは当然と思われる。
(現行憲法のままでは集団的自衛権は行使できない!)
とすると、自衛権を根拠にして集団的自衛権の一部行使を実現しようとする安倍内閣以来の企図は、その成功がおぼつかないことになる。憲法9条の「戦争放棄」「戦力不保持」原則が集団的自衛権行使を実現する上で乗り越えがたい壁となっているのである。
自民党政権は、憲法に「9条の2」を新設し、自衛隊を明記したうえ、その自衛隊が「必要な自衛の措置」をとることができる規定をおくことで、集団的自衛権行使を妨げる憲法上の壁を取り除こうと考えているにちがいない。
自衛隊を明記する「9条の2」は、自衛隊の存在を公認することで、9条の「戦争放棄」「戦力不保持」原則を事実上骨抜きにし、自衛隊から行動上の大きな制約を取り除き、「必要」な場合に「必要」な規模で自衛の措置をとることができるとの憲法解釈を生むことになる。現行9条のもとでその実行に壁のあった集団的自衛権についても、「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」(前示の内閣法制局)との制約はとりはずされ、わが国の「安全」に関係し「自衛のため」との口実さえつければ、「必要」に応じて立法化が憲法上可能となる。自民党政権はそのように考えているにちがいない。
新たな立法をしなくても、この憲法改正さえ実現できれば、現行の自衛隊法76条1項二号も、「存立危機」要件の厳格認定の要請は薄らぎ、かえってその拡大解釈が可能となり、多くの場合に「わが国の存立危機に該当する」との認定判断がしやすくしなり、集団的自衛権の行使に道を開くことになろう。そのことも自民党政権の狙いのひとつとしているにちがいない。
(参考) 自衛隊法76条1項一号と二号の条文
第七十六条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、(中略)の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。
一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生 する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態
二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態
(上記の一号が個別的自衛権、二号が集団的自衛権といわれるもの)
(本文は、老生が会員である西神ニュータウン9条の会のホームページ3月号に投稿したものである)
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