嫌中論、中国脅威論を憂う
Mさんへ
中国を嫌い、脅威さえ感じる、この大きな世論を私も長く憂いています。
わが家人もその一人で、テレビ報道を前に、ときどき口喧嘩をします。
しかし、考えてみれば、私が中国について知っている情報と、家人が得てきた情報は大きく違うのです。
私は学生時代に現代中国の研究会で、日本の中国侵略の歴史と、共産中国の反植民地、独立の戦いを学びました。一時期、文化大革命には大きな失望を抱きましたが、鄧小平の向かった新たな中国建設には、また希望の光を見てきました。いろいろな矛盾を抱え、「弾圧政策」もあるが、14億の民を統一しつつ豊かな国を目指すためには、必要なこともあるのだろうとみています。
少なくとも、中国はその「独裁政治」をよその国に輸出しようとしているわけではないので、その国内政治を外から批判し(内政干渉をし)、ぎすぎすした関係になることは、決してわが国の平和外交のとるべき策ではないと思います。
残念ながら、わが家人は、近代中国の屈辱の歴史をほとんど知りません。国内が四分五裂し、その間隙を縫って欧米と日本に侵略されてきたこの180年の中国の歴史を知りません。
ギョーザ事件も、尖閣列島問題も、香港問題も、批判することはもちろん簡単ですが、ことを構えて、日中の軍事的対立にまで持ち込むべき問題では決してないのです。話し合いで解決でき、また(おそらく)理解しあえる問題です。
相手のことを知らず情報が乏しい場合、とかく誤解しがちなことは、私たちの日常によくあります。国(民族)と国(民族)との関係においては、誤解にとどまればいいのですが、憎しみに変わりがちです。関東大震災の時、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた!」とのデマは、瞬く間に広がり、朝鮮人に対する憎しみとなり、多くの虐殺事件の悲劇を招きました。この歴史から私たちが学ぶべきことは沢山あります。
ただ、せめて「戦争までしなければいけない問題なの?」と語りあうことはできるのではないでしょうか。
憲法9条の「戦争放棄」の精神は、たとえ相手が邪悪な国であっても、桃太郎のような気分で「鬼退治」することはしない、戦後のアメリカのような「世界の警察官」の役割はしない、ということではないでしょうか。イスラエルのガザに対する行動、アメリカのベネズェラに対する行動などに対して、正義感から憤りを持つ若者は頼もしい。ただ、その正義感を決して軍事的行動で表すことをしてはいけない、ということが9条の精神なのです。このことを理解させることが大切なことのように思えます。
もちろん私たち大人もこの精神を今一度かみしめる必要があるように思えます。
(本稿は老生が参加している「市民デモHYOGO」のMLに投稿したものです)

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