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中国に関する冷静な観察 良心的ジャーナリストから学ぶ

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  中国を怖い国とみて、反感をあおる情報をまき散らすのがマスメディアの大勢である。そうした中で、小さなメディアを通してだが、冷静に中国をウオッチするジャーナリストのいることは、なんと心強いことか。富坂聰氏はそのひとりである。老生は、彼のメルマガ「目からうろこの中国解説」を愛読している。   富坂氏は9月10日号で、インドネシアで開かれた ASEANの首脳会談 と、インドで開催された G20 サミット に触れて書いている。 「日本のメディアは例によってASEANサミットを『南シナ海やウクライナ情勢などをめぐる大国間の意見の隔たりは埋まらず課題を残した』とマイナスのトーンで総括したのだが、果たしてそういう話だったのだろうか」と、富坂氏は疑問を呈する。 そのうえで、「少なくともASEAN側は『ウクライナ情勢で各国の溝を埋めること』がメインテーマだったとは発信していない。南シナ海問題で性急な進展を求めていたわけでもない。彼らが中心に据えたのはあくまでも『成長の中心』であり、経済だった」 と伝える。 また、インドネシアの ジョコ大統領 は、安住の地であろうとするASEANの役割を誇り、 対立への嫌悪 をしめしたという。そして、「(ASEANは)地政学的競争に加わってはいけない。ましてや超大国間の対立の代理となってはいけない」と語った。 集まった首脳に「緊張を和らげ、新たな対立を生まないようにする責任は、すべての首脳が背負っている」と呼び掛けた、と伝える。 富坂氏は「こんな重要な発信を「南シナ海やウクライナ情勢などをめぐる大国間の意見の隔たりは埋まらず課題を残した」という一言でまとめて報じるメディアは、正しく日本に情報を伝えたことになるのだろうか」と批判する。 富坂氏は「西側先進諸国には耳の痛い話ではないだろうか」「聴きようによってはとくに日本に向けた発言とも解釈できる」としたうえ、「アメリカの意向に従い米中対立をASEANに持ち込み、中国への対抗を露骨に呼び掛ける日本の振る舞いに向けられるASEAN加盟各国から視線は冷たい」と、会議の空気をそのようにみた。 そういえば、この春、フランスのマクロン大統領が 「 (アメリカの)同盟国であることは下僕になることではない。自分たち自身で考える権利がないということにはならない」と語ったとか、話題になった。同根の問題意識で

(台湾有事)国会は自衛隊の参戦を安易に「承認」してはいけない!

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   安倍元首相が一昨年暮れに「台湾有事は日本の有事」と叫んだ時から、わが国の「防衛論議」は一段と危険なものとなった。岸田政権は「中国の脅威」を口実にミサイル防衛をはじめとする大軍拡路線を打ち出し、石垣島、宮古島などの琉球諸島では自衛隊のミサイル基地整備が一気に進み、日米の軍事共同訓練は重ねられ、住民避難の具体的方法まで現実化してきた。     戦争前夜を思わせるこうした動きに老生の心配はつきない。   そのなかで、老生にずっとつきまとってきた疑問がある。      なぜ台湾有事は日本の有事なの? 日本有事にさせない議論をどうしてしないの?  安倍元首相の上記発言のあと、麻生元副総理が昨年の夏 「 台湾でドンパチが始まることになれば、沖縄の与那国島などの地域も戦闘区域外とは言い切れないほどの状況になり、戦争が起きる可能性は十分に考えられる」と発言した。 中国と台湾とが軍事紛争になれば、なぜ近くの日本の島々が戦争の舞台になるの? 火事の場合は火の粉が飛んで近隣も火事となることはある。しかし、戦争は火事とは違う。中国が日本と戦争しようとする意思がないかぎり、または日本が戦争に参加しようとする意思がないかぎり、両国の間に戦争は起こらないはずだ。 少なくとも現時点では、日本と中国はどちらも相手と直接に戦争しようとは考えていない (台湾有事は中台間に紛争があって生起される問題である。中国は、近隣の国たとえば日本が台湾の側に加わり、その国とも戦争することになれば、台湾攻撃に集中できず、敗北するかもしれない。中国は日本が参戦してくることを避けたいはずである。ウクライナ戦争でロシアがポーランドなど近隣諸国に手を出さないのは当然のことである。中国も台湾を攻撃する時、ついでに日本など近隣の諸国に手を出す必要などまったくない。 24.3.27 加筆) 。さすがに安倍元首相らもこの戦争意思を持ち出すことができなかった。ただ、戦争準備だけはしておきたい、そのために「近隣の戦争」があたかも「近隣の火事」と同じであるかのごとく漠然とした話しで戦争危機をあおっているのである。この「あおり」は成功した感がある。安保三文書の大軍拡路線はさほどの反対を受けないまま既成事実化しようとしているのだ。 「台湾有事」なったとき、日本が参戦意思をいだく危険性はある。ここ数年の政府の「安全保障」に関

「中国と対話を」再び訴える

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  (大軍拡反対に迫力の乏しさ)   今国会も会期を終えた。   安保3文書に対する国会の野党の追及も、空振りとはいわないが、大きなファール2、3本で終わってしまった。敵基地攻撃能力の危険性、専守防衛の逸脱、憲法9条違反、大軍拡・増税といった攻め道具も、政府を追い詰めるまでにはいかず、国民に大きな怒りを呼び起こすことができなかった。市民運動もいま一つ盛り上がりを欠いた。   日本は、中国はもとより外国の領土へミサイルを撃ち込むことを、専守防衛の観点からできないとしてきた。それを「できる」と変えたのが、今回の大軍拡である。日本に対して安心の目で見ていた中国が、方針を変えた日本に対し、警戒と反撃の気持ちを高めたことはいうまでもない。日中衝突の危険性は増した。   (「中国脅威論」) 大軍拡方針の危うさは誰が考えても明らかである。にもかかわらず、国民の間に大きな反対機運が盛り上がらなかったのには、無理からぬ理由があった。「中国の脅威」である。中国が「攻めてくる」かもしれないので、日本がミサイルで反撃するのもやむを得ないではないか、そういった気分が国民の相当広い範囲にあって、大軍拡方針はまかり通ろうとしているのだ。残念ながら、「中国脅威論」は国会野党の一部にも影響を与えており、それが日米同盟に惑わされる姿勢とあいまって、政府追及に迫力を欠かせた原因ではないか思われる。 「中国脅威論」は間違っている。このブログでくり返し書いてきた。 尖閣問題について中国は話し合い解決がその方針である。台湾問題は中国の内政問題であって、アメリカや日本が余計な手出しをしない限り、 日米を攻撃するはずがない、南シナ海の島々の領有権問題も関係諸国と話し合いで「ウイン・ウイン」の解決を目指している。中国はそのように主張しており、老生はこれが中国の真意だと思う。   (覇権的行動に出る余裕はない) 中国は14億もの民を抱えており、その巨万の民を統治するだけで精一杯である。その国内は、うわべこそ高度経済成長により矛盾が抑えられているものの、底辺では貧富の差や官僚支配への反発を抱え、民族政策に対する不満から反抗の動きもあり、インテリ層には外国からの刺激をうけた「民主化」への根強い要求もある。内政の課題はつきない。中国共産党指導部は、こうした難題を解決し国内統治に成功しないでは、自らの独裁支配に人民の

J・ケナンは講和後の日本の非武装・中立を構想していた! 私の勉強ノート(1)

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ジョージ・ケナンは、外交官としてソ連などに勤務したあと、第二次世界大戦後は、1940年代の後半アメリカ国務省にあって、米ソ冷戦に臨む政策担当の要職につき、いわゆる「ソ連封じ込め」政策を提唱・推進するリーダーであった。冷戦初期のアメリカ外交についてはケナンを外して論じることはできない。それほどに有名かつ有力な外交・政策の担当者であった。1950年に国務省から身を引いた後も、学者・研究者の立場から長くアメリカ外交を見守ってきた。   老生はケナンの仕事と評判ついては、漠然と上記程度のことしか知っていなかった。戦後日本は、占領から1951年の講和条約にいたる過程で、新憲法による非武装・中立の理想を敬遠するようになり、アメリカと単独講和を結び、ソ連封じ込めに追随して再武装する道を模索しはじめていた。当然ながらケナンは、ダレス国務長官らとともに日本をその方向に導く重要な役割を果していたにちがいないと思い込んでいた。 ところが、ケナンについてはどうも違うようである。最近、ケナンの「 アメリカ外交50年 」(1983年刊行)を読んで、彼の当時の認識と構想をはじめて知り、いささか驚いている。主な点を箇条書きし、本文の要旨を添える。   1  ソ連封じ込め政策は、スターリン的共産主義の政治的拡大の危険に対処するためのものではあるが、西側諸国への軍事的攻撃の危険があるとは考えていなかった。        (要旨) 「封じ込め」の概念は私が提唱したものである。モスクワに指導される共産主義者らがドイツや日本の先進工業国で支配的地位につく危険に対処するためであった。私やソ連をよく知る人々は、ソ連が西側や日本に 軍事的攻撃を加える危険があるとは考えていなかった。ソ連からの危険は政治的なものであって、軍事的なものではなかった。そのことはその後の歴史が証明している。 (240頁)                  2  マッカーサー元帥は、日本を永久に非武装・中立の国にしたいと考えていたようであるが、私はその方針を堅持すべきだと思っていた。    (要旨)  マッカーサー元帥は、占領初期に敗戦日本に対するアメリカの政策を決定する上でもっとも影響力のある人物であった。彼は当初、 日本を永久に非武装化された中立国に しようとしていたように思われる。私もアメリカはマッカーサー元帥の方針を堅持すべきだ

「ローマの休日」と9条の精神

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     先日テレビで「ローマの休日」をみた。もう何回目だろうか。数年ぶりの今回もやはり楽しい映画だ。いつ見ても、ひからびた老生をもウルウルさせる心やさしさが一杯つまっている。オードリーヘプバーンとグレゴリーペックの名演技、個性あふれるわき役たち・・・。    その終盤、報道陣とのお別れのあのシーン。グレゴリーペック演じるブラドリー記者らの立ち並ぶなか、ヘプバーンの若いアン王女は気品ある笑みを浮かべてあいさつをする。    記者の一人が「国家間の友情について、どのような展望をお持ちでしょうか」と質問する。王女は前日のお茶目なアバンチュールで知りあった ブラドリーへの淡い恋心を断ち切ろうとする。つらい場面である。それでも、凛とした表情をとりもどした王女はブラドリーの方を見ながらやわらかに「私は国家間の友情を信じます。人と人との友情を信じているように」と答える。見つめ合う二人の何とやさしくもいとおしい表情・・・    とたん、老生の胸に「これって、9条の精神ではないか」、そんな思いがよぎった。    非武装をうたう憲法9条を支える前文、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」、あのフレーズ。映画のこのシーンもいくどもみてきたが、この連想に今回あらためて新鮮な感動をおぼえたのである。    この映画は1953年の公開。第二次世界大戦が終わって間もない時期である。戦争の惨禍の記憶は新しい。平和への願いは強い。だが、その後の米ソ冷戦は人々に暗い影を落としている。他方、欧州では戦争を防ぐための国家共同体構想が動きはじめた。記者の質問にはそんな時代背景があったのだ。王女のメッセージは人々の平和への願いである。映画はそう訴えたかったにちがいない。 老生の連想はつづく。オードリーヘプバーンもあの恐ろしい戦争の被害者なのである。1944年9月ナチスドイツがオランダを支配していたとき、連合国軍の港の閉鎖や食糧補給路の寸断により、オランダ西部地域は深刻な飢餓状態に陥った。住民はパンとジャガイモだけの一日700キロカロリー程度の食糧しかとることができず、冬の寒さの影響もあり、1945年5月、連合国軍によって解放されるまで2万2千人が餓死したという。「オランダの飢餓」と呼ばれる事件。この飢餓の間に母親の胎内にいた人は、 成人になってから健康問題

大軍拡路線の背景 台湾をめぐる米中対立

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  (先日、西神ニュータウン9条の会の勉強会で「東アジアの平和と日本」とのテーマで報告させていただきました。本稿はその報告に若干の手を加えたものです。末尾に勉強させていただいた本など主なものを挙げています。)   安保関連3文書ができた背景、米中の対立、特に台湾をめぐる紛争についての、レジュメにそって報告をさせていただきます。 「中国脅威論」なるものの実態に迫っていければ、と願っています。 キーワードとして、「アメリカの恐怖」、「中国の恐怖」をあげました。長々となる報告のアクセントになれば、との思いからです。  1 中国と台湾、分裂と相克の歴史    台湾は、17世紀末、清の時代に征服されて、中国の一部になりました。   日本は1895年(明治28年)、日清戦争に勝って清国から台湾を譲り受けました。以後、太平洋戦争が終わるまで、台湾を植民地支配しました。   敗戦で終わった時、日本は他国から奪った領土を放棄することとなり、台湾も中国に返還しました。1945年のことです。 2 内戦 中華人民共和国の建国 蒋介石の台湾   日中戦争中、蒋介石の率いる国民党と毛沢東の率いる共産党は、統一戦線を組んで日本と闘いました。だが、終戦とともに両者の間で内戦が始まります。中国をどちらが支配するかをめぐり、共産党と国民党との間で激しい内戦となったのです。    内戦は数年続き、1949年(昭和24年)に共産党の人民解放軍は、本土のほぼ全域を制覇しました。蒋介石の国民党は、本土を逃れて台湾に移り、そこで捲土重来を期したのでした。台湾に行ったことのある方は、台北にある故宮博物館の財宝を見たことがあると思います。あれは、国民党軍が北京を離れるときに、そこにあった故宮博物館から持ち出した財宝であります。わが方こそ、中国の代表であることを示さんとする象徴的な品々であるように思えます。    毛沢東の共産党も、内戦に大きな犠牲を払いました。本土を支配することができたものの、台湾に逃れた蒋介石の国民党軍を追いかけて打倒し、台湾を奪回する余力はありませんでした。こうして、1949年以降、台湾には中国本土と対立する別の政権が支配する状態となりました。 蒋介石政府は、中華民国という前々からの国名を台湾でも維持し、中国を代表する政府として、戦後成立した国連の一員、しかも常任理事国

「ニホン」残酷物語

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   「ニホン」という国がありました。「キシダ総理」が治めています。   海を隔てた西には「中の国」があり、東には海の向こうに「ばいでん大統領」の 「アメの国」がありました。    世界一強い「アメの国」は、新興の「中の国」がわが地位をうばおうとしているのではないかと疑心暗鬼です。てごわい「中の国」と対決するために「ニホン」と「ニチベイドウメイ」を結びます。  「中の国」のすぐ近くの「台の国」には「ハンドウタイ」という宝物があり、「アメの国」はそれがほしくてたまりません。そのうえ、「台の国」を味方につけ、ここに軍事基地を置いて「中の国」に睨みをきかせることができれば最高との野望も持っています。「アメの国」はずるがしこく、「中の国」と戦争になれば、自国に被害が及ばぬよう、「ニホン」を前面に立たせて闘わせようとも考えます。そのため「ニホン」に沢山のミサイル兵器を装備させようと企みます。                                                             「ニホン」には、「ケンポウ9ジョウ」という掟があって、敵の領土を攻撃するミサイル兵器はもってはいけないとされてきました。ミサイル装備をためらう「ニホン」政府に対し「アメの国」は、そんな弱気ではダメだ、「中の国」から核兵器で攻撃されようとしても、わが国の「核の傘」で守ってやらないぞ、などと「脅し」ます。「ニホン」には強い武器を持ちたくてたまらない勢力もいて、ついに「キシダ総理」は自衛隊にミサイル装備を決断します。「テキ基地攻撃能力」とよびます。   そのころ、女流歌人「タワラマッチ」作詞のざれ歌が子どもらの間ではやりました。 ♬  雨 雨 ふれふれ アメの国が 核の傘で おむかえうれしいな ピッチピッチ チャップチャップ  ランランラン  ♬ (字あまりでゴメン! マッチ)  そのうち、「台の国」「アメの国」連合と「中の国」との緊張がたかまり、ついに戦争となります。「アメの国」との約束にしたがい「ニホン」もこれに加わります。「ニホン」は「中の国」の艦船やミサイル基地などにミサイルをボンボン撃ち込みます。気がついてみると、「中の国」に攻撃を加えているのは「ニホン」だけです。「アメの国」は周辺をうろうろするだけで手を汚そうとしません。戦禍は拡がり、「台の国

(敵基地攻撃能力) 平和外交こそ解決の道

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  先日、作家の加賀乙彦氏が亡くなった。老生は、名作「宣告」以来、彼の作品が好きだった。戦争の時代を背景とした「錨のない船」と「永遠の都・7部作」は2回づつ読んでいる。前者は、真珠湾攻撃の直前まで米国で和平交渉に携わった来栖三郎大使をモデルに大使の苦悩と一家の悲劇を描く。後者は、作者自身をモデルに戦争の時代を生き抜いた一族の苦難を描く大河小説である。半藤一利氏らの本で学んだ戦争への道が、いかに人々の苦しみと悲しみをもたらしたか、これらの作品で実感することができた。そして戦争を憎み厭う気持ちを新たにしたものである。  「来栖三郎」から今日的テーマ「平和外交」に想いが飛ぶ。     ☆ 今回、政府が自衛隊に敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有させようとする背景に、「中国の脅威」があることはまちがいない。 その攻撃を抑止するために軍事的強化が必要と考えるのである (抑止の理論) 。   ☆ この抑止の理論を批判するのは、そうやさしくない。なにせ欧米では常識的ともいえる防衛理論であり、日本政府に取り入れられ国民も影響を受けて久しいからである。   ☆ ただ、わが国には、この抑止の理論とは真逆の 「憲法9条の精神」 がある。万が一、わが国に脅威を及ぼす国が現われても、 「平和外交によって脅威を除去」 する方法で対処する、との考えである。このことを改めて思い起こしたい。   ☆ 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と憲法前文にある。9条「戦争放棄」のバックボーン思想である。       諸国民との融和、協調があれば、戦争、戦力を放棄しても、国民の安全と生存が維持できると考えたのである。「抑止の理論」とは全く異なる。      わが国の周辺にもしも「脅威」を及ぼす国が現われたら、外交によってその「脅威」を取り除き、これにより平和を取り戻せ、と憲法9条は命じているのだ。  ☆ わが政府は、自衛隊を設立してから兵力保有を正当化するものが必要となった。憲法9条はもちろん役に立たない。代わるものとして「脅威」と「抑止の理論」が取り入れられた。次第にこの考えが大手を振るようになってきた。そして「平和外交による脅威の除去」という「9条の精神」は影が薄くなり、主役の地位を失っていったのである。   尖閣列島をめぐる中国との確執で