大軍拡路線の背景 台湾をめぐる米中対立

 (先日、西神ニュータウン9条の会の勉強会で「東アジアの平和と日本」とのテーマで報告させていただきました。本稿はその報告に若干の手を加えたものです。末尾に勉強させていただいた本など主なものを挙げています。) 

安保関連3文書ができた背景、米中の対立、特に台湾をめぐる紛争についての、レジュメにそって報告をさせていただきます。「中国脅威論」なるものの実態に迫っていければ、と願っています。
キーワードとして、「アメリカの恐怖」、「中国の恐怖」をあげました。長々となる報告のアクセントになれば、との思いからです。 

1 中国と台湾、分裂と相克の歴史
  台湾は、17世紀末、清の時代に征服されて、中国の一部になりました。
  日本は1895年(明治28年)、日清戦争に勝って清国から台湾を譲り受けました。以後、太平洋戦争が終わるまで、台湾を植民地支配しました。
  敗戦で終わった時、日本は他国から奪った領土を放棄することとなり、台湾も中国に返還しました。1945年のことです。

2 内戦 中華人民共和国の建国 蒋介石の台湾
  日中戦争中、蒋介石の率いる国民党と毛沢東の率いる共産党は、統一戦線を組んで日本と闘いました。だが、終戦とともに両者の間で内戦が始まります。中国をどちらが支配するかをめぐり、共産党と国民党との間で激しい内戦となったのです。

   内戦は数年続き、1949年(昭和24年)に共産党の人民解放軍は、本土のほぼ全域を制覇しました。蒋介石の国民党は、本土を逃れて台湾に移り、そこで捲土重来を期したのでした。台湾に行ったことのある方は、台北にある故宮博物館の財宝を見たことがあると思います。あれは、国民党軍が北京を離れるときに、そこにあった故宮博物館から持ち出した財宝であります。わが方こそ、中国の代表であることを示さんとする象徴的な品々であるように思えます。

  毛沢東の共産党も、内戦に大きな犠牲を払いました。本土を支配することができたものの、台湾に逃れた蒋介石の国民党軍を追いかけて打倒し、台湾を奪回する余力はありませんでした。こうして、1949年以降、台湾には中国本土と対立する別の政権が支配する状態となりました。
蒋介石政府は、中華民国という前々からの国名を台湾でも維持し、中国を代表する政府として、戦後成立した国連の一員、しかも常任理事国として重きをなしていました。他方、毛沢東の共産党政府は1949年中華人民共和国を建国しましたが、国連に席はありません。
中国本土と台湾との内戦の決着はついておらず、法的には現在までつづいている状態です。台湾政府はアメリカと手を組み,1954年(昭和29年)、相互防衛条約を結び、アメリカ軍が台湾に駐留することとなりました。アメリカとしては、共産主義中国から台湾を守るという大義名分を掲げていたわけです。

中国と台湾との間では、互に対立していたものの、その後は、それぞれ内政に忙しく、相手の領域に攻め入るまでの戦闘はおこなわれませんでした。 
                                                            3 米中国交回復 「ひとつの中国」 武力統一問題                      
1972年、長年続いていたアメリカと中国との不正常な関係に終止符をうち、国交を正常化しようとする動きが始まりました。アメリカは一つの中国を受け入れ、中華人民共和国を中国の唯一の代表と認め、台湾政府との国交を断絶したのです。当然、米国台湾間の相互防衛条約も反故にされることなり、国連における代表権、常任理事国の地位も台湾から中国に移ることになりました。

アメリカに続いて、1972年、日本も田中内閣のもと中国と正常化交渉をもち、国交を回復し、台湾とは断絶することになりました。昨年が国交回復50周年だったわけです。

  米中の国交正常化ができた背景には、米ソ冷戦におけるアメリカの世界戦略の変化と中国のそれに応じた対応がありました。興味深いところですが、くわしいことは省略します。

  米中間の正式の国交はようやく1979年に樹立できました。1972年に一つの中国などの原則を確認しあって関係正常化することを約束しあってから実際に国交を回復するまでに6年余りの長い年月を要したのです。

  交渉が難航した最大の問題は、アメリカ側が、一つの中国を認めたものの、中国が台湾を武力で統合する、すなわち武力統一することを何としても阻止しようとし、中国にその約束をさせようとしたところにあります。中国側は、平和的統一の努力はするけれども、武力統一をしないという約束はできない、とアメリカの要求をつっぱね続けたのです。

アメリカ政府にしてみれば、武力統一をされては、これまでいわば保護してきた台湾を見捨てたかたちになり、内外の批判にたえられないとの思惑でした。

 6年の歳月をかけたにもかかわらず、ついに、武力統一をしないという合意を成立させることができなかったのです。米中は「一つの中国」を認めることまでにとどまって、見切り発車で国交回復をすることになったのです。

  反共、反中感情の強いアメリカ議会は、米中国交回復に不満で、台湾関係法という法律を作ります。相互防衛条約を廃棄したにもかかわらず、これまで同様、台湾の防衛に関心をもち続け、武器輸出もできることにし、台湾を見捨てる行政に反発する態度をしめすのです。
  当然、中国はこれに反発しましたが、アメリカ政府は、台湾関係法はあくまで内政上のものであると説明してきました。中国の抗議にもかかわらず、台湾への武器輸出はつづきます。

4 中国の「改革開放」、アメリカの「関与」政策
  米中国交が正式に回復したのは、毛沢東や周恩来の死亡した3年後の1979年でした。この交渉を最終段階で指導したのは鄧小平です。
  彼は、1966年から10年続いた文化大革命の間、2度の失脚を経験しましたが、不死鳥のように復活して、米中の国交回復のころには、文化大革命によってずたずたとなった中国の内政立直しの先頭にたっていたのです。 

少し脇道に入りますが、毛沢東から見ると、鄧小平は劉少奇とならぶ修正主義者の筆頭でありました。鄧小平は中国の社会主義を歪めて資本主義の道を歩ませる実権派とみなされていたのです。
毛沢東につぐナンバー2の地位にあった劉少奇は紅衛兵や四人組からさまざまな迫害をうけました。劉少奇は政界を引退して田舎に引っ込むからどうか許してくれと毛沢東に泣きついたのですが、毛沢東は最後まで彼を許しませんでした。劉少奇は、北京から遠く離れた田舎に幽閉されました。彼は、最後は、自ら食事を断って餓死の道を選んだそうです。毛沢東に対する死を賭しての抗議だったのでしょうか。このあたりのいきさつは、エズラ・ヴォーゲルの名著「鄧小平」に詳しくのっています。私はこれを読んで、あらためて毛沢東と文化大革命の非情さを知る思いでした。
これに対し、鄧小平は、2度も失脚させられ、地方での幽閉生活に耐えて復活したのです。ヴォーゲルの本では、毛沢東は、鄧小平の実務者として実力を高く評価していて、将来の復活も念頭に置いて、文革中の迫害にも手心を加え、劉少奇とは別の扱いをしたかのように書いています。毛沢東の扱い方もあったのでしょうが、鄧小平という政治家のしたたかさを感じさせる復活劇でした。 

本題にかえります。その鄧小平は、1979年国交回復の直後に9日間をかけて、訪米の旅にでました。かれは、国交回復交渉時の強面の顔を引っ込め、満面の笑顔を振りまき、謙虚な姿勢でその旅を成功させます。アメリカ政府と国民に歓迎され、好感を持たれました。政府関係者との対話はもとより、各地をめぐって民衆とも接する機会をもち、独特のユーモアを駆使して、反共、反中に固まっていた米国民の心をひきつけたようです。その訪米は、長年つづいてきた米中間のわだかまりを一気に和らげた象徴的できごとでした。

その鄧小平の指導のもと、中国では崩壊寸前の経済を立て直すため、また国を開放して世界各国とつながるために、「改革開放」という名の政治経済の大改革が始まります。人民公社などの共有を基本とした社会主義的な経済運営はやめます。私的所有を広く認め、利潤の追求を奨励する資本主義の手法により、中国の経済を豊かにしようとしたのです。
「白い猫でも、黒い猫でも、ネズミを捕る猫は良い猫だ」という鄧小平の有名な言葉が、国中にゆきわたりました。「ネズミをとる」というのは、富を生むということです。資本主義的方法であっても経済を成長させ、国と人々を豊かにすることが大切だといったのです。
人々は、働けば働くほど自分が豊かになれる改革開放の政策を歓迎しました。自分の幸せを第一に考えて懸命に働くようになります。どん底だった経済は、回復の道を歩み始めます。鄧小平の政府は、外国からの資本と人材、技術を呼び込み、産業を発展成長させました。米国とだけでなく、日本からも莫大な投資がなされ、貿易量が格段にふえました。さらに毎年のように何万人もの若い人々を積極的に欧米に留学させました。諸外国から様々なことを学ばせ、それを国内再建の場に生かすことを奨励したのです。中国は、先進諸国に追いつこうと国をあげて努力をしました。テレビドラマにもなった山崎豊子の「大地の子」はそのあたりの中国社会を生き生きと描いています。
国交を回復したアメリカは、そのような経済建設にはげむ中国を日本などとともども支援したのです。米国は多額の資本を中国に投下してあらゆる分野での生産活動を刺激し、貿易量も著しく増大しました。もちろん、それがアメリカの経済的利益につながっていました。

しかしながら、中国の経済がこのような形で著しく成長し、GDPが増大するにつれて、このまま中国が経済発展していけばどうなることか、アメリカの地位が脅かされるのでは、と不安がる向きもアメリカに生じはじめました。国交回復の立役者であり、当初は当然中国の支援に熱心だったニクソン元大統領でさえ、晩年の1990年代には「われわれは、ひょっとして、おそろしいモンスターを創り出したかもしれない」と不安を述べることもあったそうです。

アメリカという国は、さきほども述べたとおり、議会や社会になお根強い反共、反中国の右派勢力がおり、また20世紀以降、東洋人とくに中国人や日本人の移民を差別する「黄禍論」(こうかろん)も根強くありました。ただ、歴代の政権は、そうした中国に対する一部の警戒感にもかかわらず、中国となんとか友好関係を続けてきました。中国を援助し中国を豊かにすることが、アジアはもとより世界の安定のために必要かつ有益である、またソ連の崩壊したあとの唯一の覇権国となったアメリカのためにもなると考えていたからです。

こうしたアメリカの中国支援の政策を engagement政策、日本語では「関与」政策とよんでいました。アメリカは、その関与政策を継続するにあたって、中国に期待をもっていたのです。どういう期待かといえば、国が豊かになれば中国は民主主義をとりいれることになろう、アメリカ優位の世界の秩序には協力するだろう、別の言い方をすれば、中国が豊かになることはアメリカの利益に合致することはあっても害をなすことはなかろう、という期待だったのです。
中国にしてみれば、アメリカの自分勝手な期待だ、民主主義になろうが、共産主義で進もうが、中国自身、中国の人民自身が決める事だ、という思いであったろうと考えます。その期待がはずれたから中国けしからん、と非難するのは、中国から見れば、片腹痛いというところではないでしょうか。

佐橋亮教授の著書「米中対立」には、その期待の意見例を沢山あげています。キッシンジャー、クリントンなどのことばがありますが、レジュメに書いたとおりです。

 世界に衝撃を与えた1989年の天安門事件は、さすがに、アメリカの対中世論の分裂を深めはしました。それでもなお、アメリカの関与政策は継続ました。

 佐橋教授はこう書いています。
  「クリントン政権もブッシュ息子政権も、選挙期間中は、「北京の虐殺者」などとの中国を批判していたが、選挙が終わって政権が発足すると徐々に対中関係を安定化させていった。米中経済が深く結びつき、また協力によって得られる外交上の利益が大きいことが分かったからだ」

中国の経済成長はとどまるところがなく、2010年には中国のGDPは日本を抜いて世界の第二位になり、そのうち、米国のGDPに迫る勢いとなってきました。ここにいたって、アメリカは、中国が自分を追い抜いてしまうのではないかとの恐れの気持ちが一気にふくらんできました。
オバマ政権からトランプ政権がそうした時期であったわけです。

このあたりの点についても、佐橋教授はその著書の随所で指摘しています。
たとえば、「中国のパワーがアメリカに迫りつつある切迫感が明らかに高まり、中国が国際秩序や地域秩序を作り変えるほどの強制力を持ち始めていると気づくようになり、焦りがアメリカで深まった」などと。
佐橋教授は「恐怖」という表現さえつかっている。これも随所にでてきます。
たとえば、「アメリカが中国にかけた期待や自らの力への慢心は崩れ、アメリカは世界の中心という立場を失い、自らが作りあげた秩序が置き替えられる恐怖にさいなまれている」などと。
 
私は、今日、アメリカと中国とのあいだの緊張をもたらした最大の原因が、この恐怖の感情ではないかと考えています。
アメリカは、中国に対する「関与」と「支援」の政策をやめることになります。逆に中国の悪しき影響力を押し戻し、抑え込むべきだとの考えが支配的になってきたのです。

以上がキーワード1としてあげた「アメリカの恐怖」であります。

こうしたアメリカ政府の動きは、オバマ政権の後半ばころから目立ってきました。そして、その政策転換が一気に加速したのが、トランプ政権になって、中国に仕掛けた貿易戦争であったわけです。 

  トランプ政権の貿易戦争は、ファーウエイ、TikTokなどIT産業にひろがり、さらに香港問題、新疆ウイグル問題、コロナ発生もからみ、政治的対立へと拡大、深まりをみせ、ついに同盟国を巻き込んで軍事的対立の様相さえ示すようになり、「新冷戦」といわれるまでになりました。 

そうした緊張感の高まりの中で、トランプ政権を引き継いだバイデン政権には、その緊張を緩和する政策が期待されたのですが、基本的には前政権の対中国政策を受け継ぎました。
バイデン政権は「アジア太平洋戦略」を策定しました。「自由主義」対「専制主義」の闘いとの大義名分を掲げます。クワッドの多国間同盟を軸に、中国を封じ込め抑え込んでその影響力を押し戻そうとしています。
その究極の狙いは、世界一強のアメリカの覇権的地位を守りきろうとするものといってよいと思います。

アメリカのそうした戦略が形成されるのと軌を同じくするように、中国近辺では台湾へのアメリカの支援行動が強まり、米中間で台湾をめぐって緊張が高まっていきます。

 トランプ政権末期頃からの台湾への活発な軍事的な支援としては、最大規模の武器売却、閣僚,高官の繰り返し派遣、軍用機の台湾空港への離発着、米軍艦の台湾海峡での頻繁な航行、米軍事顧問団の台湾での訓練などがあります。 

日本でも、アメリカの動きに合わせるように、台湾有事への対応要請、危機感の醸成、自衛隊のミサイル基地建設の促進、米軍の自衛隊基地使用の動き、日米軍事訓練の強化、日米作戦計画作成の動きなどがはじまりました。2年まえの菅内閣のころからです。

  アメリカは、台湾を支援するにあたって、中国が近々台湾に武力侵攻して武力統一しようとしている、そういう宣伝をして危機感をあおります。
 その典型例がデービットソン証言です。
 デービットソンという前のインド太平洋軍司令官が21年3月にアメリカ議会で証言しました。 その中で「中国は、6年以内に台湾に攻め入る」という趣旨の発言をしたのです。
この発言は、アメリカ内外で大きく注目され、世界では特に日本に大きな影響を与え、中国の脅威論が一層勢いづきました。
デービットソン発言は、その後、根拠の乏しいもので、議会に海軍の予算を要求するために作りあげたでっち上げ発言である、という評価がまともに考える人々には定着してきています。あの発言の由来はまことに興味深い点です。最近では、レジュメの末尾に挙げた高野孟氏のユーチューブに詳しく載っておりますので、あとでぜひ見てください。
    
7 台湾は独立するのか、中国は武力統一するのか
  中国は「ひとつの中国」を主張し、台湾が自らの領土の一部であり、将来は統一する夢を抱いていることはまちがいありません。これを建国以来の念願としています。
 ただ、中国は、台湾との統一は、平和統一、即ちいつか将来台湾側と話し合いの上での実現するのが原則であって、武力を行使しての統一実現は例外だと主張してきています。中国のこの点の主張は、すくなくとも米中国交回復の時からは一貫しており、ぶれることはありません。

  まず、台湾の側そして支援する米国の側の現在の状況をみると、確かに様々な軍事的政治的な動きがあり、それらは将来の「台湾独立」につながる可能性があります。
 しかしながら、アメリカは今なお公式には、「一つの中国」を認め、「台湾独立は支持しない」と述べています。
  台湾の蔡英文政権は、独立(国際的に国として認めてもらうこと)を掲げて政権をとった「独立積極派」ではありますが、アメリカの支援なくして独立行動にうごきだすことは実際にはできません。
  台湾世論も、香港問題やウクライナ問題で動揺する時期があったかもしれませんが、中国の強い反対を押し切って、また経済関係の強い絆まで断ち切って独立に向けて動き出すことに、多数が賛成しているとまではいえません。
  そうした事情のもとでは、現在台湾が本気で独立に動き出すとは思われません。その点の分かっている中国にも、平和的統一をあきらめて武力統一に動き出す動機があるとは思われません。
  
  さらに、中国にも、武力統一の挙にでる客観的条件はそなわっていません。
 中国は現在さまざまな国内事情を抱えています。順調に伸びてきた経済成長が、アメリカの経済制裁、人口減少、コロナ危機などさまざまな理由で停滞気味です。
 共産党の独裁政治が国民の大きな不満をいだかせずに存続できているのは、この政権の下で順調に経済発展ができ国民の暮らしは豊かになったから、というほかありません。
  そうだとすると、豊かな生活への希望が失われては、共産党政権の基盤を揺るがす事態となりかねない。また、国内には、汚職問題、少子化問題、地域・貧富の格差問題、新疆ウイグル・チベット・香港など地域の政情不安問題など、幾多の難題を抱えています。こうした国内事情を前に、とうてい台湾統一という難事情をやり抜く余裕があるとは思えません。
また、台湾という、民主主義がひとまず成功し、市民の教育程度や政治意識の高い地域を、共産党政権が無理やり武力行使で統合した場合、どうなるでしょうか。台湾人民を平穏に治めることができるわけがありません。そのことは、中国の共産党政権が誰よりも分かっていると思います。

防衛省の元文官幹部であり、内閣官房の仕事もしていた柳澤協二さんも2年ほど前、「通販生活」という雑誌の落合恵子さんとの座談会の中で、「香港と違い、台湾には陸海空併せて16万人の兵力があるので、中国が占領するのは簡単ではありません。仮に占領できたとしても市民の抵抗は続き、逆に「台湾独立」の機運が盛り上がることにもなりかねない。ですから、中国はそう簡単には台湾に侵攻しないだろうと考えるのが妥当です」と語っていました。 

 今少し、アメリカの台湾をめぐる政策と中国の対応について考えて見ます。
 さきほどキーワード「アメリカの恐怖」について述べましたが、ここで「中国の恐怖」について触れておきます。

 朝日新聞に時事小論を書いている藤原帰一教授は、「世界一ポップな国際ニュースの授業」という題名の本(中国について結構ぼろくそに書いている)の中で、こんなことを述べています。
「国際社会に中国に対する脅威論があったのと同時に、中国内部にも国際社会への脅威論があったんですよ。冷戦が終わったら、各国が中国を封じ込めにかかるのではないかという恐怖、この恐怖が中国の対外政策の中心にあります。米中の覇権争いと言いますが、中国内部では常に「自分たちは覇権争いの犠牲者だ」という意識が根強いんです。そうした、”犠牲者メンタリティ”が、いまだ中国の対外政策を支えています」と(81頁)。

私は「中国の恐怖」に関するこの指摘は正しいと思います。藤原教授のいう「中国の恐怖」の具体例をあげるとすれば、台湾がアメリカにとられてしまうことではないでしょうか。中国の東側に近接する韓国、日本にはアメリカの軍事基地があります。そのうえに、さらに「台湾」までアメリカにとられて軍事的政治的に固められる恐ろしさ。アメリカをバックにこの日、韓、台が軍事的に中国を取り囲む、まさに「封じ込め」の完成を思わせる状況は、中国にとり「悪夢」であり「恐怖」でありましょう。

アメリカの台湾支援行動に対して中国が、「異常」ないし「過剰」と思われるほど強く反発するのはこの恐怖からではないでしょうか。
特に近年、軍用機による台湾の「防空識別圏」に侵入する方法の反発行動が頻発し、20年度が380機であったのに、21年度は960機に、22年度には1727機にまで上ったこと、さらに昨年夏のペロシ下院議長の訪台に抗議して、台湾を取り囲む数日間に及ぶ一部の隙も与えないかのごとき大軍事演習を実施したことなどは、日本など周辺国の政府や人民を脅かす過剰とも思える反発でした。
ただ、その過剰さゆえに、結果的には「反中」「嫌中」の世論、「中国脅威論」をさらに一掃高めるものとなるのです。
  中国問題に精通しているジャーナリストの岡田充氏は、このような中国の過剰な反発は、アメリカの台湾支援という意図的な挑発行為によって引き起こされたとみています。
   「意図的な挑発」と「過剰な反発」を繰り返す、「台湾危うし」の国際的危機感を醸成する、この作られた台湾危機によって周辺国の中国脅威論をあおる、これにより中国封じ込めを強固なものにする、これがアメリカの狙いだと岡田氏はみています。私はこの見方に賛成です。

  中国を軍事面だけでなく政治的にも封じ込める策として、アメリカは、台湾支援を継続し、ときには中国の過剰な反発をひきだすべく意図的に挑発的な支援行動を継続していきます。もちろん、偶発的な軍事衝突にもつながりかねない危険な行動でもあります。

  台湾問題をめぐる日本の動きをふりかえります。
  国交回復以降、比較的順調であった日中間も、21世紀に入り、尖閣列島をめぐり、あるいは靖国参拝などの歴史認識めぐって波風が立つようになりました。国民の反中国感情は高まってきましたが、経済的結びつきはなお相当に強固につづいてきました。
  ところが、トランプ政権時代から、アメリカの対中政策が大きく転換し、新冷戦化するにつれて、日本もアメリカに同調し、中国に一層、非友好的ないし対決的な姿勢が目立つようになってきました。

  米中間で攻防の焦点となってきた台湾問題には、2年前、菅・バイデン首脳会談で「台湾海峡の平和と安定の重要性」に触れる共同声明を出して以来、軍事面を中心に日本はアメリカの中国敵視・台湾防衛政策に急速に追随するようになりました。この急接近の背景に何があったのか、私たちは探求しなければならないと思います。
  琉球弧での台湾有事を想定した自衛隊基地建設、日米共同訓練、共同作戦計画策定問題、「台湾有事は日本の有事」との安倍元総理発言、敵基地攻撃能力問題などが矢継ぎ早に提起されました。

  その流れの末に、ついに昨年12月に安保関連3文書が閣議決定され、敵基地攻撃能力を軸とした大軍拡路線が定められました。憲法上の専守防衛の制約を一気に乗り越え、台湾有事を念頭に中国へのミサイル攻撃を可能とする一大軍事国家になろうとしています。戦争への道といわざるをえません。

10 まとめ
  以上の報告に若干の補足を加えてまとめます。

l  台湾をめぐる戦争と平和の危機は、世界一強の覇権国アメリカが、台頭して来た中国にその地位が奪われかねない恐怖感、危機感を抱き、台湾を焦点に中国封じ込め政策をとるなかで、これに中国が強く反発することで深まってきた。

l  台湾への武器輸出や高官訪台など「一つの中国」に反すると思われるアメリカの政策は挑発というべく、これに対する中国の軍事的警告行動は反発である。アメリカは、中国の過剰な反発が世界、特に日本の人々の眉をひそめさせることを狙って意図的に挑発を繰り返し、これを封じ込め戦略の重要な柱としている感がある。

l  中国は台湾が独立に動かない限り武力を行使して統一に動くことはないとみるべき。ただ、中国は台湾が軍事的にアメリカ側につくことを防衛上の観点から最も恐れていると思われる。台湾が独立に動き出さないまでも、たとえば中国に危機感を抱かせる長距離のミサイルや戦闘機、核兵器などがアメリカから供与されれば、中国は武力行使に出る可能性はある。アメリカの中国の封じ込め政策も軍事面では綱渡り的危険性をはらむ。

l  軍事的衝突の可能性についてさらにいえば、米中双方が軍事力を高め、台湾海峡で演習その他準備活動を活発化すれば、多くの論者が危惧するように、ささいな行違い・過誤をきっかけに両者の軍事的衝突に拡大する危険性もある。

l  アメリカの中国封じ込め作戦は、日本など同盟国の協力を得て行うもので、特に中国・台湾と近距離にあってアメリカに従属する日本には強い協力姿勢が求められた。日本は、ひたすらアメリカの期待に応えるべく、独自の対中国政策、特に平和交渉を検討する間もなく、対中国対決路線の先頭に立とうとしている。いざ台湾をめぐって戦闘が始まったとき、矢おもてに立つのは日本だけで、アメリカは後方に退いて「はしごはずし」にあいかねない旨、柳澤協二氏は警告している。(「非戦の安全保障論」集英社新書110p)

 

引用・参考文献など 

        佐橋亮「米中対立」 中公新書

        エズラ・ヴォーゲル「現代中国の父 鄧小平」(上)(下) 日本経済新聞出版社

        藤原帰一ほか1名「世界一ポップな国際ニュースの授業」 文春新書

        岡田充 海峡両岸論 第146号 

 高野孟 「「台湾有事切迫」論の嘘に惑わされるな」(ユーチューブ、開始11分)    

      瀬口清之(キヤノングローバル戦略研究所)「台湾問題をめぐる米中対立の深刻化」

        柳澤協二ほか「非戦の安全保障論」(集英社新書)

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