(敵基地攻撃能力)攻撃範囲の制限撤廃で「専守防衛」は死に体


  安保関連3文書をすこし丁寧によんで考える時間をもった。新たな軍事政策は、老生が当初予想していた程度をはるかに超え、専守防衛は骨抜きとなり、瀕死の重態である。
 安保関連3文書は、あらたな政策を簡明、的確には表現しようとせず、抽象的、曖昧な言葉を連ねてその政策をぼやかして(ごまかして)いるように思える。その政策の実相は今後の国会審議や識者の解説などからさらに究明される必要がある。市民の側も勉強しなければならない。
 ボケかけた頭をフル回転して老生が読みとったうち、いくつかを挙げて問題提起としたい。

 攻撃範囲を本邦領域内から他国領域に拡げたこと(専守防衛の骨抜き)
  新政策は、ミサイルを相手側領土内のミサイル基地などに打ち込んで攻撃することを容認した。これまでわが国が憲法9条のもとで、自衛隊が攻撃できる範囲を自国内と限っていた専守防衛の核心部分を質的に転換するものである。
   「専守防衛」はこれまで次のように説明されてきた。「自衛隊の戦闘行為は本邦の領域内とこれに隣接する公海、公空内に限られ、その装備についても大陸間弾道弾や長距離爆撃機のような相手国領土への攻撃をもっぱらの目的とするものは持てない」などと(注1)
   攻撃範囲の拡充は「専守防衛」の骨抜きであり廃絶にも等しい暴挙である。拡充した軍事行動は必ずや相手国の反撃の増強を招き戦争の惨禍はとめどなく拡がる。さらに懸念されることは、今回の新政策はミサイル兵器について攻撃範囲の制約を撤廃することで「専守防衛」の中心のタガをはずものであるが、それが他の兵器兵力、例えば、爆撃機、艦船、陸上歩兵部隊の使用・展開に適用されない保証がなくなったことである。憲法9条どこ行った! 戦争行為の全面展開である。 

元内閣法制局長官の阪田雅裕氏も、外国の領域を攻撃しない、他国に脅威をあたえないというのが憲法9条下での「専守防衛」の真髄であったのに、「集団的自衛権容認」に続いて、「盾」に徹してきた自衛隊に「矛」の役割を負わせて「専守防衛」をさらに骨抜き形骸化しようとしていることを慨嘆し、「誕生から75年、人間だと後期高齢者となる憲法9条が、その歴史的使命を終えていま、その姿を消そうとしている」と記している(注2) 

2 武力行使の三要件とミサイル発射の関係
  政府は、今回の新政策において「専守防衛の考え方を変更するものではなく、武力行使の三要件を満たして初めて行使される」と説明している(注3。攻撃範囲という重要かつ基本の部分を変更したのに、「専守防衛の考え方を変えない」とは、よくもまあ厚かましく言えたものだ! 

(三要件と疑問)
 「武力行使の三要件」なるものは、自衛隊が武力を行使する場合に、ざっくり言って①相手からの武力攻撃が発生していること、②他に方法がなくやむをえないこと、③必要最小限度にとどめること、の三要件を満たすことを必要とするものである。
 この「武力行使の三要件」が必要だとする政府の説明とその批判について、老生はどう理解すればいいか、大いなる疑問にとらわれている。
 
(三要件はどの場面で要求されているのか)
 新政策は、この「三要件」を、ミサイルを発射する場合にも当然必要としているかのごとくである(注4)。政府は米国からミサイルを数百発ないしそれ以上購入装備しようとしている。とすると、これら多数のミサイル発射の1回ごとに上記三要件を満たす必要があるというのであろうか。政府の新政策をそのように理解する論者が多いようである(注5)
  しかしながら、「武力行使の三要件」のうち、①の「武力攻撃の発生」というのは、そもそも、自衛隊が個々の戦闘行為をするときに要求される要件ではなく、 自衛隊に自衛隊法76条1項の出動命令を下すために必要な「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態」のことではなかったか注6 

(個々の戦闘行為と三要件)
  ミサイル発射を含めて自衛隊による個々の戦闘行動は、この出動命令が下されたあとの部隊や隊員によるそれぞれの武力行使である。その個々の武力行使の場面では、出動命令の前提となった武力攻撃発生事態が存続していることのほかに、いちいち新たに「相手からの武力攻撃の発生」が必要だとは理解されてこなかったように思う。たとえば、相手国の部隊兵力がわが国に上陸してきた場合を考えてみると、上陸行為自体が「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態」であるから防衛出動命令が下されるであろう。あとは、この上陸部隊がどのような行動をするかにかかわりなく、自衛隊はこれを排除するために必要な武力行使ができるはずである。上陸部隊がわが自衛隊に向けてたとえば銃器を発射するなど新たに「武力攻撃」されることをまつまでもなく、である。

(ミサイル発射の場合)
 今回問題としているミサイル発射を考えてみると、これが想定される事態は相手国から何らかの武力攻撃(ミサイル攻撃とは限らない)が発生して自衛隊に出動命令が下されたあとのことであろう。そうすると、個々のミサイル発射にあたり必要とされる「武力行使の三要件」のうちの①はすでに満たされているので、自衛隊はせいぜい発射の必要性など②と③の要件を判断すればいいということにはならないであろうか。
  政府が今回の新政策で、ミサイル発射に「武力行使の三要件」を必要とする説明をしているのは、上記のような意味であり、個々のミサイル発射ごとにいちいち新たに「三要件」①の「相手の武力攻撃」があるかどうか(「着手」したかどうかなど)について確認を必要としている趣旨ではないのではなかろうか。 
  もしそうだとすれば、多くの論者が自衛隊のミサイル発射が「先制攻撃」にならないかの疑問を提起し、相手ミサイルが発射に向けて「着手」したかどうかなどを議論しているが、これもおそらく上記「三要件」に関する政府説明を誤解しているところから生じたものと思われ、どれほど実益のある議論かどうか、老生には疑問に思われるのである。

(「三要件」のうち②③の要件判断の厳守要求)
  もっとも、ミサイル発射について、「三要件」のうち①の要件を問題にする余地がないとしても、必要性など②③の要件を厳守させる議論は重要なことかもしれない。
  ただ、自衛隊に出動命令が出たあとの、個々の戦闘行動の必要性判断は現場自衛官にまかされることにならざるを得ない。②③の要件厳守の要求は、冷静な判断が必ずしも容易でない現場の雰囲気から推して、その実効性の面で期待のできないものではないだろうか。それとも、ミサイルの兵器としての重要性にかんがみ、ミサイル発射に関して特別立法で自衛隊員の恣意的判断を制約するという考えもありうるのであろうか。

(「専守防衛」遵守こそが本命)
  敵基地攻撃能力保有に対する批判は攻撃範囲を限定する「専守防衛」の遵守に焦点を当てるべきだと思う。海外領域での武力行使に対して「三原則」をもって歯止めをかけようとする議論は、立論も困難であって効果も期待できそうにない。
  「専守防衛」(攻撃範囲の限定)と「武力行使の三要件」は、ともに憲法9条に則り自衛範囲に徹して武力行使の拡大を制約する大原則であるが、攻撃範囲の限定という「専守防衛」の方を厳守しないで、「武力行使三要件」の厳守要求では武力行使のとめどもない拡充に歯止めをかけることが難しいというべきかもしれない。

 その他の検討
  今回の敵基地攻撃能力保有に関連する新政策については、ほかにも、集団的自衛権の発動たる「存続危機事態」について自衛隊はどのような行動をとることになるのか、さらには、一連の自衛隊の新たな行動は米軍との間でどのような協調、一体関係となって展開されることになるのかなどなど、究明批判しなければならない問題点が多い。
   隠居老人は、同憂の友人たちとも語り合いながら、老骨にむち打ち勉強していきたい。

 (注1)  阪田雅裕  雑誌「世界」23年2月号24頁
 (注2)  同上23頁
 (注3) 国家安全保障戦略について 18頁
 (注4)  同上18頁
 (注5)  日本弁護士連合会「敵基地攻撃能力」ないし「反撃能力」の保有に反対する意見書」19頁もそのひとつか。
 (注6)   自衛隊法76条1項 
内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては(中略)、国会の承認を得なければならない。
(1)我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態(後略)

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