中国の台湾周辺での軍事演習 「一つの中国」再考


 中国軍は、今月4日から7日までの予定で、台湾周辺においてこれまでにないほどの大規模な軍事演習を行った。アメリカのペロシ下院議長の台湾訪問に抗議し台湾独立を牽制するためのものであった。
 日本を含めたG7の国々がこの演習を批判する声明を出した。朝日新聞もまたその社説で「過剰反応、無責任な威嚇」と中国を非難した(8月7日)。国民の多くも中国がここまで強固な軍事演習をすることに反発するか戸惑いを感じているように思われる。 

  隠居老人は、中国を非難する前に、ペロシ議長の訪台が台湾独立の機運の盛
り上げに大きな影響を与えるものであって、中国がそのことを重大視していた理由を考えてみる必要があ
ると思う。 

いうまでもなく中国の台湾政策の前提は「一つの中国」であり、これを揺るがす動きにはこれまでも常に警戒し警告をしてきた。今回、議長の訪台に対し軍事演習を含む強い態度で対応したのも、その延長線上に位置する。中国にとり「一つの中国」は「核心的利益」であって代替がきかないほどに重視されるのである。

「一つの中国」再考
ざっくり言って「中国はひとつであり、台湾はその一地方」というに尽きる。台湾が中国とちがう政治制度(民主主義)をとることはまったく問題としていない。台湾が中国から分離して独立国家(二つの中国)となることを禁じ、そのことを唯一の柱としている、
重要なことは「一つの中国」原則は中国だけが唱えているものではないことである。ここ半世紀のうちにアメリカ、日本をはじめ世界のほとんどの国々の承認するところとなり、今や国際法にも準じて尊重されるべき国際秩序となっている。
したがって、台湾が国としての承認を求めて独立に動こうとすれば、中国が反対するのはもちろんであるが、世界からも安定した秩序を乱すものとして警戒される。独立を掲げて選挙を勝ち抜いたはずの台湾の蔡政権が、今は「独立を求めない」と言うのも、そのことを考慮せざるを得ないからである。蔡政権の後ろ盾と言われるアメリカ政府も台湾が独立へ向けて暴走することを抑えているのである。
 
「一つの中国」は国際関係において次のような法的扱いとなる。
  中国と台湾との間の紛争は国家間の問題ではなく、中国の内部問題、内政問題として取り扱われる。その紛争に他の国が介入することは内政干渉となり原則として許されない。同じ理屈からであるが、

  中国と台湾との間に軍事的紛争が起こった場合、他国が国連憲章51条(注1)で許容される集団的自衛権を行使して台湾を支援しようと考えてもできない。なぜなら、台湾は(国連加盟)国ではないので、他国が集団的自衛権によりその防衛を助ける対象とはなれない

こうしてみると、1970年代以降、アメリカや日本をはじめ世界中がなだれを打って中国と国交を結び「ひとつの中国」を認めて台湾と断交したが、台湾にしてみれば、それまでの国家としての地位を一気に失い、世界中から見放される憐れな境遇に陥ったことになる。世界は台湾に対して、よくもまあそこまでむごいことをしたものよ、老人は「同情」さえおぼえてくる。

ただ、こうも考えればわずかに「救い」が見えやや落ち着くものを感じる。すなわち、非共産主義としての台湾の政治制度が特段の理由がないかぎり存続でき、中国(大陸)から蹂躙されることはない、つまり台湾の体制維持が、中国と世界各国と間で「暗黙の了解」として取り交わされ、保障されたと考えられることである(そうでなければ、いくら小国台湾といえども、大陸と厳しく対峙するなかで死刑宣告にも等しい事態を黙って受け入れるはずがないではないか)。
台湾は国家の地位を失う代わりに、せめてもの代償として後に「一国二制度」といわれるものの原型をこの激動期に獲得し、「自由国家」として生き延びることが「約束」されたのである。そうだとすれば、この代償措置も「一つの中国」という新たな世界秩序形成の一環であり、尊重されなければならない。

あらたな秩序形成からすでに半世紀を経過した現在、経済的地位を向上させ政治意識の高まった台湾に独立志向が高まり、アメリカの一部世論をはじめ世界にもその独立(国としての承認)を応援する声が増大していることはまちがいない。
その声におされてバイデン大統領が「台湾が中国から攻撃された場合、アメリカの軍隊は台湾防衛に赴く」などと緊張を高める発言をする。すると、アメリカ国務省はすぐさま「アメリカの『一つの中国』政策に変わりはない」と声明をだす。国務省のこの発言は、世界中から、上記①②の理によりアメリカが台湾を支援するため軍事的に介入することはないと受け取られる。国務省はそこを狙って大統領の発言を帳消しにしようとするのである。
こうしたアメリカの二枚舌は「あいまい外交」と呼ばれたりする。台湾に対するアメリカ国内の世論が二分していることがその背景にあるのであろう。「あいまい外交」は世界の人々を戸惑わせる。また軍事的な事柄だけに危険な言葉遊びでもある。

中国は「一つの中国」を、干戈を交えても守り抜くべき政策(核心的利益)としている。中国の歴史的背景、民族的感情、現代の政治的・軍事的・経済的諸事情、台湾の大きさや地勢学的位置などがその政策の根底にある。「一つの中国」は、歴史に根を張り人民の支持のもとに一貫して主張されてきており、台湾独立の動きに対してはつねに神経をとがらせ軍事的対応をちらつかせつつ強い反発と警告を示してきた。

ペロシ議長の訪台とその反応
ペロシ議長は、アメリカで副大統領に次ぐ重要ポストにあり、台湾独立支持派の中心的人物であるだけに、その訪台の政治的意義は大きく、台湾内外に与える影響は並みのものではない。中国の強い反対を押し切ってまで強行したことは、台湾の独立支持派にさらに大きな励ましを与えた面もあろう。

中国は、ペロシ議長の訪台が内政干渉にあたり国際法上許されないばかりでなく、世界の秩序を乱す台湾の独立派勢力に不当にかつ大きく肩入れするものとし、これを安全保障上の重大な脅威ととらえ、その抗議と警告のために、今回の軍事演習という強硬な手段にでたのである。その主張と警告そして手段において、これまでと質的に変わるものではなかった。(注2)

朝日新聞の上記社説は、ペロシ議長の訪台が「ひとつの中国」という世界の秩序に重大かつ危険な影響をあたえかねない意味をもち、中国にとっては脅威と感じられることに何ら言及せず、ただ「議員外交をめぐる摩擦」とのみ述べて、ひたすら中国側の軍事演習の危険性だけを述べるものである。「中国の過剰反応、無責任な威嚇」とするその見方は、はたして社会的公器として公平なものといえるであろうか。

「一つの中国」は大陸だけの利益か
今回の一連の出来事に対する中国の強い反応をやむを得ないとみることに対しては、沢山の異論、というより猛反発があろう。とくに台湾の独立を「正義」として支持する人々からは、中国の対応はやはり横暴極まりないものと映るに違いない。台湾の独立は世界の秩序に反するといっても、机上の空論であって、ちっとも心に響かないと。中国側の事情を考えないかぎりむりもないと言わざるをえない。

 しかし、ここはぜひ冷静に「ひとつの中国」について、今一度思いを巡らせてほしい。老人は願う。
中国はもっぱら「大陸」の利益だけを考えて「ひとつの中国」政策を貫こうとしているわけではない。中国は、台湾人民がみずから選択して築いてきた民主主義という政治制度を尊重しようとしている。大陸の側に許していない「自由」を許容しているのである。「一国二制度」とも呼ばれる利益。中国はこれを将来にわたって台湾人民に保障するとも述べている(「香港問題」とは歴史的そのほか多くの面で違っている)。
祖国の統一という大きな利益のために、大陸と台湾の双方に相応の負担をおわせ「ウインウイン」を実践しているとみることができないであろうか。

独立問題の平和的解決を
台湾独立を願う人々には、武力衝突に至る道よりも平和的に進める条件づくりに地道な努力をつづけてほしい。
中国に反発される方策よりも、今日の我々が思いつかない「後世の知恵」(「台湾問題に関する提言―戦争という愚かな選択をしないために―」柳澤協二氏ら)を発掘することに努力を傾けてほしい。
見守る私たちは独立派の人々のこうした努力を応援し協力したいものである。隠居老人も台湾の人々の痛みを忘れことなく、「ごまめの歯ぎしり」を続けていきたい。  (了)

(注1)「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的叉は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。(後略)」

 (注2)「米中対立」(中公新書)を書いた佐橋亮准教授はペロシ氏訪台について言う。「台湾や地域の情勢の中で考えると、今回のペロシ氏の訪台が本当に必要だったか疑問だ。米国は過去3年間、武器売却や軍事演習を通じて、粛々と台湾との関係を強化してきた。ペロシ氏の訪台で、米中関係は明らかに悪い方向に向かう。地域の安定を米国が壊しかねない。日本や台湾からすると、この訪問はあまり意味がない。」(8月4日朝日新聞)

コメント

  1. ご老人さま

    ペロシ氏訪台は私のブログでも問題にしていたので、大変勉強になりました。
    私のブログではコメントを沢山もらうのが特徴ですが、そのほとんどが反論批判コメントです。
    その中で素人の私には的確に答えられないことがあります。
    ① アメリカとの間の、一つの中国の約束は、条約ではなく共同声明であり、共同声明には法的拘束力が無いから、違反をしても非難することは出来ない、という人が居ます。
    この「法的拘束力が無い」ということがどういう意味を持つのか?を私もいまいち説明できない状態です。

    ② ペロシ氏訪台は一つの中国の共同声明を侵害していることの説明がうまくできません。

    お暇な折に教えていただけたら有難いのですが。

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  2. 小林さん、いつもブログを丁寧に読んでいただき感謝しています。
    ご質問の①について
    まず、法的拘束力という意味についてはインターネットか何かで調べてみてください。国と国との約束ごとの場合はどうでしょうか。共同声明も、条約と同じく約束ごとです。国と国との約束です。条約と違って議会の承認を経るという面倒な手続はとりません。しかし、個人の約束事と違い、国家間の約束は、条約であれ共同声明であれ(法的拘束力のあるなしにかかわらず)、これに違反することが相手に与える影響に違いはあるでしょうか。
    条約であれ、共同声明であれ、重要な約束の場合、一方がこれに違反すれば、相手国は怒ります。場合によっては国交断絶、戦争にさえなりかねません。国内問題としては共同声明は「条約より軽い」といえるかもしれませんが、国際問題(相手の国との関係)においては、どちらも違反した国の信用を害し相手との友好関係を傷つける点では同じではないでしょうか。
    米中間の「一つの中国」約束は、確かにニクソン・毛沢東間での共同声明の一内容ですが、極めて重要な約束です。「共同声明だから「一つの中国」は守らなくていい」などといっている人はアメリカにもいないのではないでしょうか。ただ、条約と違って共同声明はやや安定感に欠ける点が否めません。だからでしょうか、中国とアメリカは、その後も何回か、共同声明の形でニクソン・毛沢東間の約束を再確認しています。今回のバイデン発言を取り消すためのアメリカ国務省の「一つの中国政策に変わりはない」旨の声明も同じく確認のためです。
    アメリカがこの約束を条約としなかったのは、国内問題があったからです(議会に反対が根強かった)。日本の場合は、田中内閣のした共同声明(1972年)を日中平和友好条約(1978年)の中に組み入れて条約化しています。

    ご質問の②について
    中国は、ペロシ議長の訪台は「台湾独立」機運を高め励ます効果を狙ったものと言っています。その見方は間違っていないと思います。なにせ彼女は独立支持派の中心人物ですから。そして、その効果も確かにあると思います。
    国家の重要な地位にある人が台湾の「独立機運」を高める行動をとることは米中間の「一つの中国」約束をないがしろにするか、すくなくとも軽視することにならないでしょうか。なるとすれば、共同声明を侵害することになるといえるのではないでしょうか。

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  3. ご老人さま
    丁寧に教えていただいて感謝します。
    教えていただいた線でブログ記事を書けました。
    法的拘束力については、「法的に強制する方法が無いこと」と考えました。
    国際法にはそういうものが多いと思いますので、共同声明だからと言って特に問題は無いと思いました。
    とりあえずお礼まで。

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