投稿

5月, 2024の投稿を表示しています

「中国はばらばらの砂、自由が多すぎた」 孫文がみた伝統中国の農村

イメージ
                                                                ( 勉強ノート) 現代に生きる中国の伝統思想(4) 孫文の「三民主義」を読んで、意外な感とともに強い印象をうけ、考えさせられたのは、「中国には自由が多すぎる」とする一連の論であった。 ◎    中国歴代皇帝は、謀反に対しては一族連座で殺すなど強大な懲罰で対応したが、人民に対してはおおむね寛大な態度をとった ◎    中国人民が皇帝にたいしてもつただ一つの関係は、租税をおさめることであり、それ以外、人民は政府となんの関係も持たなかった ◎    中国人は、なぜばらばらな砂なのか。何によってばらばらな砂にさせられたのか。それは各人に自由が余りにも多すぎたからだ ◎ われわれは自由が多すぎ、団結を欠き、抵抗力がないから、ばらばらな砂になり、ばらばらな砂だから、外国帝国主義の侵略をうけ、こんにち、われわれは抵抗も出来ないのだ。将来、外国の圧迫に抵抗出来るようになるためには、各人の自由を打破し、ちょうどばらばらな砂にセメントをまぜて、堅い一つの石を作りあげるように、強固な団体を作らなければならない  (注1)   魯迅の小説の主人公「阿Q」を思い出す。清朝末期、革命前夜の農村に住むルンペンプロレタリアートの「阿Q」、趙大旦那にいつも叱られ、村人から馬鹿にされ、いじめられながらも、へこたれず、土地神の祠で寝泊まりし、あっちこっちと動き回り、ときに大旦那の家の仕事を手伝ってわずかな金を得、それでまた賭博をしたり、飲み屋に出入りし、毎日を天真爛漫、面白く快活に生きている・・・ 「水滸伝」は長すぎ、老生はいつも2巻目の途中で読みやめてしまうが、中国の農村でたくましく生きる無頼漢たち、これに対処する頼りない王朝官憲・・・、日本の中世にはとうてい見られないような光景、豪傑たちは仲間には情が厚いが、官憲には果敢に戦いを挑んでいく・・・ (近世中国農村の実態) 孫文のいう「自由が多すぎた」中国の近世農村はどのような社会であったのか。京都大学教授寺田浩明の「中国法制史」は、清 の時代 (1636~1912) の多数の裁判記録を調べて農民らの生活と意識を浮き彫りにし、中国社会の政治と秩序の根底にある思想に光を当てている (注2) 。   中国